茂兵衛の添句標石 <その7−1> ◎延光寺近くの二基 四国56号線寺山口に、第三十九番札所延光寺の寺標石がありますが、そのすぐ横に茂兵衛さんの添句標石があります。 剥落もなく、添句もハッキリと読めます。しかしこれは残念なことに、一字間違っているように思われますが、その通りに記します。 旅もれし 唯一すじに 法の道 傍点部「も」はどうも「う」の字の間違いではないかと思います。 本誌213号(その3)でも述べた、愛媛県周桑郡小松町新屋敷の標石の句が、やはり「う礼し」ではなく「もれし」の様に読めました。 変体がなの異変字でしょうか。 この寺山口の標石は、大正五年十二月。二百六十五度目の標石です。施主は、佐渡国小木町大字宿根木というところの人々です。 石塚徳松 高津昇之助 高津周蔵 吉川久太郎 佐藤常吉 吉川於テツ 佐藤寛子 佐藤於サキ 高津於アサ 藤木於トラ 以上十名の方々です。 この標石は「東中村・西宿毛」の地点で「足摺山江十一里」のしるべとなっています。 これからもう少し寺山の方へ入って行くと、もう一基添句標石があります。 幡摩国印南郡阿弥陀村北池 施主 松本善平 妻すみ 明治四十三年三月 二百三十七度目 丁度句のある面がブロック壁に面して、その上に剥落もひどく、随分読み取るのに苦労しました。 ◎法の聲 二、三の人から、「花のいと」の句があると知らされていたので、どうもそれは「蓮の花の糸」といった句を、陶庵さんが詠んだものでないかと想像し、心楽しくこの標石を目にする機会を待っていたのです。 残念ながらこの想像は消し飛んでしまいました。 陶庵さんの句ではなく、やはり茂兵衛さんのものと思われます。そして「法の聲」というのが、法の道よりも、もっと身近く感じられます。 花の○○ いと○○○○ 法の聲 どうも右のごとく読めます。 どこかでみた様な句ではないですか。明治二十一年百度目の添句標石中、金倉寺境内にある句を想い出して下さい。 花の香や いと奥婦可支 法の道○○ この句と一字違いのようです。しかしこの一字の変化は、単純に同一句を嫌ったということでしょうか。或いはもっと重要な契機があったものでしょうか。 法の道の標石が明治二十一年。こちらの法の聲が明治四十三年ということで、この間二十二年。この二十二年の歳月に、法の道で耳にした何物かがあったのでしょうか。 金倉寺境内の句には、作者と思われる人の名が窺えますが解読はできません。 わずか一字違いですが、延光寺近くの「法の聲」は茂兵衛さんの作と思われます。 |