南天龍宮城(4)


【五輪九字明秘密釈】

 事は急いてはならない。竜宮城は鉄塔ではない。「あらむ乎」?と称されているのである。なお巷間、瑜祇塔をもって南天鉄塔に擬することあるも、これは明らかに間違いである。秀嶺師も細やかに「ワシも違うと思う、同じでない」と呟いておられた。
 インド行きというのは還暦を越した我が身にとっては、まさに青天の霹靂であった。事前 にあれやこれやとあったものの、何よりも竜樹菩薩大寺の本尊問題である。今更にと感じたのであるが、本尊阿弥陀仏が怪訝に思われていた。それに対して即座 に、小生は覚鑁上人の『五輪九字明秘密釈』を思いついたのである。それは【昭和編纂・國譯大蔵経―真言宗聖典―】昭和四年東方書院発行(1967.12.5 at南海堂 \700)にある。小生大学二年の冬、古本屋で買ったものである。この中に弘法大師撰『身成佛義』や『般若心経祕鍵』などとともに、興教大師撰『五輪九字明祕密釈釋』があったのである。


【大学時代古書店で買った本】

 あるにはあったし、目にも通したのであるが難しかった。実に難解この上もなかったことは覚えている。そして五輪塔図があったことと「忽然化現して宝生房の云はく」の二点は心中深く忘れずに居た。それが四十年の時を経て浮かび出てきた次第である。
 五輪九字明秘密釈は阿弥陀信仰に関係した論述であるこは記憶していた。また佐々井師が 高尾山の弟子で、つまりは新義真言宗に属することもあって、覚鑁上人のことに思いついたのである。思いつかされたと云うべきか。いずれにしろ一九六八年八月にインド王舎城でなされた竜樹菩薩の啓示は、九百年前覚鑁上人に出てこられた宝生房の霊示と一大動脈を通じているのである。(2)の啓示と並べて拝すると良い。

 そもそも此秘釈を記して後三摩地に入る。忽然化現して宝生房の云はく、『崑崙一度崩れて金石即ち一物なり。毘彌両観凡聖無二なり。吾はこれ金色世界の古衆、汝は亦密厳浄土の新人なり。若しこの贍葡林に入るときは誰人か異薫あらんや』終にこの説者幻のごとくして見えず。ここに於てバン覚えずして涙落ち、慙愧熾盛なり。忽ちに密厳の有相を見て生死の絶えんことを知る而已。

 これをずっとこの年まで気にしていたのであるが、まさか今日になって動き出すとは<御釈迦様でも知るメエ>である。


【覚鑁上人著述の五輪塔図】



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