南天龍宮城(2)


【竜樹大菩薩御召喚啓示】

 秀嶺師がナグプール即龍宮城に赴くことになったのは、竜樹菩薩の召喚啓示による。この 竜樹菩薩とは二、三世紀の人で、各宗派の祖と看做されている。ことに真言宗では「付法の八祖」というのがある。その第一大日如来・第二金剛薩とあり、第三龍猛こそ竜樹菩薩のことなのである。以下竜智・金剛智・不空・恵果・空海(第八、弘法大師)と続き、小生らは五十代を越している。
 しかしなんとしても不思議なのは、こうした真言宗の法脈には御釈迦さんが居られないのである。真言密教の教えは龍猛=竜樹 ナ‐ガ‐ルジュナから始まっているのである。その竜樹を名乗る啓示が1800年の時を経て日本人真言僧・佐々井秀嶺に発せられたのである。その真偽是非正邪については各人個々の心眼にゆだねられるところである。「猫に小判」「馬の耳に念仏」と云う事である。
 それは一九六八年八月のことであった。処は王舎城霊鷲山。ことし10月に完成した竜樹菩薩大寺入り口に建立された竜樹菩薩の大石像台座ににこの啓示文が刻示されている。インド語でも英語でもない。啓示された通りの日本語である。


書及び撮影:井上空龍

龍樹大菩薩
 御召喚御啓示
我は龍樹也汝速やかに南天
龍宮城へ行け南天龍宮城は
我が法城也我が法城は汝が
法城汝が法城は我が法城
汝速やかに南天龍宮城へ行け
南天鉄塔亦そこにあらむ乎
 一九六八年八月
 於王舎城霊鷲山多宝頂峰
 大満月の深更午前二時頃
 御応現賜れし時の御付属の
 御啓示也

 これが4メートル×7メートルの台座正面に刻まれたのである。書は弟子の井上空龍、写真参照。

 この龍樹菩薩の啓示あればこそ秀嶺師はインドに40年余の全身を全託したのである。それゆえにこそ「御召喚」と称しているのである。
 しかしここでなお注目すべきは「南天鉄塔」についても語られていることである。これは 真言流末徒においては大問題ではないか。理塔説また事塔説の問題であるが、「あらむ乎」というのは、そこに「在る」と云うことではないか。《此処は何処?》ではないが、《そこ》の内容も難題である。難題であるが故に「乎?」と親切に龍樹菩薩は語りかけておられるのである。



南天龍宮城(1) / 南天龍宮城 トップ / 南天龍宮城(3)