四国霊験記・巻の下
〜繁田空山法眼著〜



 第廿二番 本尊薬師如来 坐像二尺大師ノ御作 その三

 亦平等寺より三十丁斗行きて、

 鉦打阪と云所の其手前に月夜村と云所あり。此地の庵を皆人々が月夜大師と云伝へ高名の大師堂なり。

 昔大師四国中を御開基の節此所に於て一夜泊り成られ御滞留有って八月三日に此堂建立仕玉ふに三日月すでに今入らんと成さるを、大師此時秘密の法力を以って三(日)月を招てよび戻し玉う。其月の照し玉う光明の□(あかり)にて御本尊を刻仕玉う。其二仏は薬師如来と地蔵菩薩也。亦杖を入て加持仕玉へバ不思議や其時忽ち清泉わき出たり。

 夫より人々此村を月夜村と名付たり。

 池水によくよく月はかよへども詠むる人の心にぞすむ


【奥の院納経印】

 亦文化五年に下総の国海上郡本庄村に三島屋善太郎と云人あり。我田地は八丁斗作り居るに其年ハ世間一統にウンカの虫がわき出して、稲ことごとく枯す故是に依て彼善太郎ハ此月夜大師へ一心不乱に願ひ込んで、此大師様の御影を水に移して八丁の田地の中へ彼霊水を入けるに不思議や蝗螟(ウンカ)のむしは皆なく成りける。

 然るに他家の田地は悪虫にて大に損耗致しける。此年は善太郎の持田は大豊作にて大金思わず得しと云。是に依てあまりの有がたさに文化八年の秋すぎて、此月夜大師さまへ参詣の致し、其上に大師堂を建立し永代の摂待地を直に此場で付しと云。是ぞ報恩謝徳の為と善太郎も一信堅固に四国八十八ヶ所を偏礼修行を致しける。皈宅の後は我国元みて大師の御庵を亦建立して千人講を組しとなん。

 いかにせん日はくれ方に成ぬれど出(いで)し月夜の光りとどめて


第廿二番 その一 / その二



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