四国霊験記・巻の下
〜繁田空山法眼著〜



 第廿三番 本尊薬師如来 坐像秘仏大師ノ御作

 阿州海部郡日和佐村、医王山無量寿院薬王寺ハ、行基菩薩霊異ヲ見テ開基仕玉フ。是ニ因テ聖武天皇勅願寺ト仕玉フ。後ニ大師爰ニ至リ玉ヒテ七堂伽藍ヲ再建仕玉フ。コノトキ大師御年四十二歳ニ当リ玉ヒテ厄除ノ為ニ薬師如来ノ尊像ヲ自彫刻仕玉ヒテ一堂ニ安置アル。蓋シ今ノ本堂ハ天長年中ニ淳和天皇勅願所ト仕玉ヒ田畝数多寄附仕玉フト云。其後清和天皇御穣厄ノ為ニ勅使を以テ御剣ヲ奉納錦ノ御戸帳ヲカケ玉ヘリ。塔ノ本尊千手観音三尺五寸、脇士二十八部衆、皆行基菩薩ノ御作ナリ。是ハ古ノ本尊也。

 本堂ノ右ニ鎮守白山権現ト大師ノ御影堂アリ。塔ニ鐘楼相双、楼門ノ外ニ二王門。左右ニ寺院十宇アリ。文治年中ニ後鳥羽院御再建アリ。此所ヨリ西エ六十丁ヲヘテ当山ノ奥院アリ。怪石奇窟ナリ。大師ノ御作ノ御本尊アルト云。彼再建ノ時窟中ヨリ飛出テ自新堂ヘ入玉フト云。其岩屋ヲ玉厨(子)山ト号ス。行基菩薩ノ御作ノ釈尊ノ像アリ。長五尺也。昔ハ寺領五百石ト云。今ハ高十五石ト云。山林竹木御免ナリ。寛永十六年ノ秋火災有テ当山皆焼失スト云。本尊ハ出シ奉ルト云。阿州ノ太守再建アルト云。


【八坂八浜・行基菩薩古跡】 図中向左に行基庵(現鯖大師)あり

 信者問:この本尊の利益の有しことを聞し玉へと。

 答:されば此麓日和佐浦の新町に石見や広治と云人の娘、文政元寅七月中旬の事也。兼而眼病の悩にて、諸医の手もつきて終に盲と相成ける。然る所彼娘は本尊薬師如来に大願を込て我が家の大極柱より仏檀の所迄を本堂へ参ると思ひ、毎日百度ツヽの願立して一心不乱に祈念のこらし、けたいなく五十日に及びけるに、不思議や両眼ひらき父母の顔を打眺め、「夢か現か勿体なや」とあまりの事に詞(ことば)も出さず有がた涙にむせび入る。家内中もびくりし、「是娘、十五ヶ年めに眼があくとハ御薬師様の御霊験。一生大恩わすれなよ。」と、皆一同に喜びいさみ、是より家内談合して此報恩の謝せんが為と四国八十八ヶ所二十一度偏拝して、終に娘は出家と成り大師の御庵を建立して千人講を開くと聞。かヽる利生の有りし事信ずべし、尊ふむべし。


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