遍路と原爆(六)



 前述「仏法遥かに非ず…」は『般若心経秘鍵』遍照金剛撰の序文に出てくる言葉。同じく「三界如客舎、一心是本居」のコトバも出てくるのだが、この言葉は小生座右銘としているものだ。

 学生時代近くの歯医者さんに小生は真言坊主になるつもりだと言ったら禅宗が良いのにといったこともあった。坐禅の真似事もしたり禅問答の本にもよく目を通した。戸坂の禅昌寺には新居浜から一光というエライ坊さんが来ているという話しも小学校の後輩の沖田(この男はたしか駒澤大学に行った)から聞いていたのだが、やはり真言坊主になった。今更悔いはないし、相変わらず楽しく遍路学に関わり続けている。

 と、そこへ閃光一発というか、原爆が動いてきたのは祖父の絵が中国の新聞に掲載されているのがインターネットで知らされたからである。この祖父には空外師との接点が先述の西蓮寺のお不動さんであった。区外師は当時の代務住職、祖父は不動会の筆頭信者のようであったのだ。

 祖父の不動信仰がどこから始まっているのかは聞いていない。なりたのお不動さんはよく拝んでいた。父が病気の際には必至に拝んだと言っていた。旦那寺は違うのだが同じ浄土宗であるし、同じ猿楽町内(現在は紙屋町)だったことも有って不動会に関係していたようだ。

 そのお不動さんが祖父に原爆の絵を描かせてNHKの本に掲載されたものが昭和五十年に発行されているものが小生の手元にもあるのだが、まさか今頃になって中国の新聞にデカデカとカラー版で紹介されようとは、お不動様ならで誰が知りえようものか。



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