茂兵衛の添句標石 <その8−1> ◎道知石 『愛媛県越智郡菊間町佐方字町、池田義一氏宅前。県道と旧遍路道との三ツ角の標石』 ここにも添句してあります。 大正二年四月、二百四十七度目の為のものです。 大阪府堺市の長瀧シゲさんが周旋人となって、九名の施主がいます。名のみ記してみましょう。 中田巳之吉 塩田治三郎 手島小梅 長瀧ナカ 岸本安次郎 角萬太郎 伊藤スヱ 福島藤吉 本多卯之吉 以上 その心 唯一すじに 法のみち カット図をみて下さい。右の添句標石は図のD地点『道知石建設地』の書かれた処にあります。 亀岡村役場より茂兵衛さん宛の手紙に添えられた略図 ABCEの黒点と、白地道路は筆者の書き入れたもので現在の国道です。 原図は亀岡村役場で書かれたもので、海と川は青色で、道路(黒地にみえる)部分は朱色で塗ってあります。この地図は差出人が、「愛媛縣越智郡亀岡村役場」の手紙に添えてありました。受取人は「中司茂兵衛」です。 亀岡村○○一一一号
カット図のD地点には丸印が入れてあり、「道知石建設地」と記してありますが、これは一体誰が書き込んだものでしょうか。 図面作成者の字と異なる様なので、茂兵衛さんか信者の書き込みかも知れません。 さて問題は、図中太い方の県道が何時頃完成したかということです。なぜなら問題の標石(道知石)が建立されたのは、新道――つまり図中の県道――の開通に伴うものであるからです。 ここで「菊間町誌」より引用してみましょう。 亀岡村郷土誌によると亀岡地区の施行は43年7月より菊間町堺より着工佐方川以東(注・つまり図のDE辺り)を第1号以西を第2号工事とし10月17日第1号、12月18日第2号工事が完成している。
それから標石建立の大正二年四月まで二年半の間があります。 役場からの封筒は、三銭切手の消印が、大正二年二月十日・愛媛菊間、となっています。ついでに記しますと、この封筒には都合四ツ消印があります。 表のもう一つは、神戸・大正二年二月十一日。 そして裏面には、兵庫・二月十一日、と、大坂・二月十二日の消印です。 |