茂兵衛の添句標石
〜同行新聞 昭和59年4月1日 第214号より〜


 茂兵衛の添句標石 <その4>


 以上「うれし」の言葉がある添句標石が六基になります。今一度ここに集めて紹介しましょう。

 旅うれし 只ひとすじに 法の道
 以登いと嬉し まよひもとけ天 法能みち
 三つの角 うれしき毛乃 道越しへ
 山を踏みて うれしき毛の 道しるべ
 山中で うれしきものは 道おし恵


 以上の五句中「旅うれし」が二基ありますので六基となります。

 茂兵衛さんの句(この五句は茂兵衛さんの自作に間違いないでしょう)の特徴としては《法の道》がよく使われていることでしょうか。
 この《法の道》については、また後に触れることにします。


添句標石『のりの道』雲辺寺境内  旅うれし 唯一すじに 法の道



 ◎道おし恵

 右五句のうち三句が「うれしきものは道おしへ」と「道しるべ」となっています。

 山中で うれしきものは 道おし恵

 前にも述べましたが、北条味栗の鴻之坂にある、一基中に百二十余文字を刻んだ石です。
 これは一つの推測ですが、この句は大正四年に再刻されたのではないでしょうか。
 実物の標石の前で説明しないと理解し難いことと思いますが、その句の刻字の仕様が附け足りのように感じられるからです。

 このこと(再刻の際に添句した)があったと思われる石がもう一基あります。
 今治市山路(平山口)の交叉点にあります。
 ここも同じく大正四年の事で、世話人も同じ高橋鶴吉さん(浅海あさなみの人で、茂兵衛さんの諸日記にその名が見えます)。
 こちらの句は、

 末与まよふ身を おしへて通須 法の道

と、標石上部に小さく刻してあります。

 施主は、越前国の小林平三郎さん。この人は明治三十五年に、南予(仏木寺から明石寺の間)にある添句「山を踏みて うれしきものは 道しるべ」の施主でもあります。
 この人の没年が分かれば、あるいはこの標石が再刻したものであるとの確証がとれるかも知れません。

 施主の名が正面にあり、右側面には世話人高橋鶴吉の名と共に
 神戸市 金田テル
という人の名があります。恐らくは、この人が大正四年の再刻の際の施主ではないかと思われます。

 《めぐみ》の話に戻りましょう。
 山中に限らず、「うれしきものは、道おし」です。これは歩いてみれば分かる事ですが、現在となってはその方向を教える役目もさりながら、道の端や三ツ角にある――おられる――こと、それだけの存在感が見る者をして、心暖かくするものです。

 この《恵》を歌った標石としては雲辺寺への登山口にあります。洗心堂と号す人の歌ですが、実にすばらしいものです。参考迄に紹介しておきましょう。

 『川之江市川滝町の椿堂より国道192号線を東へ境目峠方面の七田ひちたバス停より県道へ入り大西恒祐氏宅前の雲辺寺へ往く、旧遍路道と県道との三叉路の山手へ少し登った所』

 十万施主免天めて末の世
 共功徳を残須石寿恵  洗心堂拝


 《いし寿恵ずえ》とはいい得て妙なる哉です。



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