先徳の御阿礼(十四)
〜同行新聞 昭和55年8月11日 第93号より〜



 前回四国霊場寺院八十八ケ寺のうち二十五ケ寺(約26パーセント・四分の一強)が本尊を薬師如来としていることがわかった。これはなんとも驚くべき数字である。一仏としては最多数であるのだが、観音系はあわせて二十九ケ寺(千手13・聖観音4・十一面11・馬頭1)ある。続いて阿弥陀仏を本尊としている寺の数が十ケ寺。大日如来六ケ寺等々といった按配である。

 勿論忘れてはいけないのは、全寺院に我が高祖弘法大師様が祀られていることである。これは四国辺路というものが、札所寺院の本尊を対象としているのではなく(全くそうした面が無いわけではない)あくまでも、

《所々之遺跡ヲ検知》

しておられる、お大師様を我が人生・我が修行道の、同行として歩む処に辺路というものが成り立っているからであろう。

 しかしながら真言陀羅尼宗の確立は、お大師様の入唐受法以後帰国してから、着々と日本の山野に形成されていったのであるが、すでにその以前はるかに、数多の諸仏諸菩薩(諸神霊も含めて)の芽は準備されていた―創造の歴史を持っていたというべきであろう。

 創造の歴史は、また流展の歴史である。


 ここで閑話休題。サテこの「休」は、一休和尚の落しものか。ハテ記するに「窮」した腰折れか。   

韃靼を 映して食う 月餅を 読んで流展の 命ことほぐ

 月餅というのは、ガッペイ。或いはゲッペイ、ツキモチか。先だって小庵にこられたI氏(同行新聞51・52・53号の四面、四番大日寺への山中かしら雨中を歩んでいる後姿の人、67・68・69号四面にも同じ写真があります)が東京より送ってこられたマンジュウである。その礼状にしたためたのが前記のうたである。月餅の味がひとしお良かったせいでもあろうか。その由来する韃靼へ、四国辺土の道から飛翔したタマシヒがあったのかも知れぬ。

海峡を 越えて旅する タマシヒも 月をながめて 涙映すか

 かって安倍仲麻呂が、アマノハラ フリサケミレバ カスガナル ミカサノヤマニ イデシツキカモ と嘆じた月も同じ月であったものか。




 オン・コロ・コロ・センダリ・マトウギ・ソワカ
 これが薬師如来の真言である(別にもう少し長い大呪もある)が、一説に無能勝明王(八大明王の一で、釈迦如来の眷属あるいは化身とみなされている)の真言ともいわれている。佐藤任氏「密教の神々」平河出版には、この真言の訳として「帰命したてまつる。除きたまえ。除きたまえ。チャンダーリーよ。マータンギーよ。スヴァーハー」を紹介されている。チャンダーリーは、インドの賎民の女、またマータンギーは摩登伽族の女と解し、おそらくは古代巫女(この際霊的方面の退化した薬草医としての側面を強調しておられる)にかかわりあるものとしている。
 余談ながらこの著者佐藤氏は、薬師如来十二大願の第八の「転女成男」を「男になりたい女に性転換を施し」という風に、医術的解釈をとっておられるようだ。ちなみに「仏様の履歴書」水書房刊市川智庚著では、この第八願を「もし女のいやらしさみにくさなどに悩まされてそこから抜け出たいと願っている者には男に生まれ変わらせ、そこから超越させてやろう」と書いておられる。いづれにしろこうした(女が男になりたいという)ことが問題になるのは、社会的差別による男女間の格差といったものよりも、もっと即身的に、女に生れた業というものが、社会的体制以前の問題として横たわっているからではなかろうか。



先徳の御阿礼(十三) / 先徳の御阿礼 トップ / 先徳の御阿礼(十五)