先徳の御阿礼(十三)
〜同行新聞 昭和55年7月21日 第92号より〜



 日本の神々が密教体系(マンダラ)の中に入っていないことをとやかく言っても始まらない。かといってマンダラに見出されない日本の神々(日本名の神々)を全くもって無視するのもおかしなことで、ここに本地垂迹説なる理論を導入して、これでこと足れりかというと、オットドッコイ、簡単に会社をのっとるが如きに、日本の神霊が犯されるものでは無い様だ。むしろ、複雑怪奇な密教の教理をも、流布せしめ許容する程、日本の神々も度量があるというものか。

 マンダラというものが、歴史上種々の変様があるというものの、汎世界的な拡がりよりは、上昇的に絶対永遠なる一者・大日如来を追求しているものだけに、日本の神々のみならずその体系の中にみられぬ神々も少なからずある。就中、薬師如来の欠如は注目に値することではなかろうか。

 野山名霊集(宝暦二年三月石州の愚禿明有泰円の書せるもの)によると、高野山の伽藍の内、金堂の本尊が薬師如来(丈六の座像)となっている。並に金剛薩、金剛王菩薩、普賢延命、虚空蔵菩薩、不動明王、降三世明王皆是大師の御作なり、とあり、さらに一休和尚の金堂に題せる詩を紹介している。

六時不断称名ノ声  万嶺松濤洗テ夢ヲ清

衆病悉除薬王力   山中ノ浄侶自ラ長生

 第三句に薬王とうたわれている如く、一休和尚も本尊薬師如来としてお参りされたものであろう。

 ところが佐和隆研氏(空海の軌跡)によると

現在は金堂と称されている講堂は……中心の本尊は阿如来像である。

ということだが、同じく同書に引用されている、古記録「勧発信心集」というのには、金堂の説明として、

嵯峨天皇の御願也、四面周匝各七間也、
七々四十九間即標都率内院四十九重層摩尼殿者也。

とある。これがまた先程の『野山名霊集』に、

建長年中鎮守大明神、
遍明院の慈氏王丸に託して一山の諸大徳に種々の御告ありける中に、
金堂は兜率の浄土に往生するものヽ集会所なりとの玉ひけるとかや

という記述と関連して、トソツ天(弘法大師の往生の目的地)のことが、本尊よりも気にかかる処。まあ今はマンダラにその名を見出せぬ薬師如来が高野山でも重要な伽藍の内、金堂の本尊とされている話。それと薬師如来ではなく阿如来であろうとの説があることがわかった。

 もともと薬師如来はマンダラにおいてどの如来に比定するか、密教徒にとって難問であったらしい。それは密教以前の奈良仏教における、薬師如来の存在が無視出来ぬものであったからであろう。現在でもなお薬師如来の名は廃れておらぬ。奈良薬師寺の金堂復興は、読者もよくご存じのことであろう。もちろん本尊の薬師三尊像(日光月光両菩薩を脇侍としている)は国宝とされている。


 さてここで少し目をお四国の寺々へ移してみよう。境内に散在する小堂はともかくとして、本尊を薬師如来とする寺を列記してみよう。

 6 安楽寺 11 藤井寺 15 国分寺 17 井戸寺 18 恩山寺 22 平等寺
 23 薬王寺 26 金剛頂寺 33 雪渓寺 34 種間寺 35 清滝寺 39 延光寺
 40 観自在寺 46 浄瑠璃寺 50 繁多寺 51 石手寺 59 国分寺 67 大興寺
 74 甲山寺 75 善通寺 76 金倉寺 77 道隆寺 88 大窪寺

 以上二十三ケ寺(37 岩本寺は不動明王を本尊とし、15 国分寺は釈迦如来との説もあるのだが、今は一応薬師如来を本尊とする)である。



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