先徳の御阿礼(十二)
〜同行新聞 昭和55年7月11日 第91号より〜



 前々回、道範師が引用したる、小野僧正の詞中、

大日遍照と申すも天照大神と申すも只一仏の異名なり。

という一文があり、これから〈一神の異名なり〉というコトバを引き出したわけであるが、この際の一神とは何者であろうか。すなわち、一仏の異名なりと言を放ってしまうのか。これではどうも野狐にも劣るともまさらぬ態ではあるが、普通密教で仏といえば大日如来。さらには阿(シュク)・宝生・阿弥陀・不空成就を合わせた五仏に摂せられている(同行新聞76号二面所載の胎蔵マンダラ図の中央が大日如来で、その上下左右が四仏である)。この五仏の中心(本体)たる大日如来こそ先程の一仏に比すべきものであろう。
 仏様の方はこれでよかろうが、次に神様の方が問題である。言語の上からは、大日遍照と天照大神とはたしかに似通っているのであるが、密教マンダラの中央に位する大日如来(一応、空間的原理的である)と、古事記等に集約された神観・神統譜上に表現されている天照大神(時間的)とを〈即同体也〉とは断じ難い。今一歩〈ある一者の異名なり〉というのもあやふやなことではある。

 最高仏としての大日如来には、最高神としての天御中主命に比するのが本来のことであろう。唯、ここで大日如来の御姿が、我々人間に近しい菩薩形をもっておられるということは、うるわしき姫神である天照大神と似通った趣きがある。いずれも太陽より抽象されたものである(太陽といっても、現在我々の目にしているものと、さらには五感を超越せる処にある、霊的太陽・光明を念頭に入れてのことである)。

 我国に仏教受容以来、およそ一千五百年。本地垂迹の問題なども横目でにらみつつ、神仏の所在といったものをたずねているのであるが、如何せん、ミアレの変様きわまりなく、単純な思考で切り捨てるのはいともたやすいことなのであるが、いざ詮じ詰めてみようとするとコトは容易ではない。明治の神仏分離策は、仏像寺屋の廃棄をもたらしたと同時に、信ずべき対象―形に非ずして神仏の霊性―根源的意味での仏法を民衆の方へ手渡すという歴史上きわめて有意義な作業であったのではなかろうか(これを御阿礼の発動と称しても可也)。

 昭和二十年、天皇の人間宣言を待つまでもなく、幕末に勃興しつつあった新興宗教の活動・イブキこそは、神道系仏教系といふ色合いを超越して、神仏の側よりの、新しいメッセージをもたらしたものと見なすことは出来ないものであろうか。

 ここでおもい出しておきたいことがある。

・事実ハ小説ヨリ奇也

・例外ノ無イ法則ハ無イ

ということである。これは何も詭弁をろうする為にもち出したわけではない。我々日常生活における、つい最近の出来事すら、人為的ゴマカシ以外にも、言語とその対象といった関係の詮索をはずして、仲々正確にとらえることがむつかしい。これが、密教体系というか、特に胎蔵界マンダラを形成していく上で、いかにインド近辺における、往時の霊的事情神話等が豊富であったとは申すものの、現今日本に於いて伝承されている神々の活動(ミアレ)を把握し得なかったことにも関連しているようだ。

 大雑把な話ではあるが、その前にたたずむものをして驚嘆させずにはおかないマンダラ〜ここでは特に胎蔵界マンダラ〜に描かれている、多くの神仏の多様性は、他ならぬ大先徳大日如来の御阿礼(応現)に違いないのだが、惜しい哉!地方的束縛をまぬがれず、日本の神々というものを正確(というより、表だって)とらえることが出来なかったということ。とはいうものの、元より全体を知るということはむつかしく、また、事実の収集よりも、より原理的なものへと走る心の傾向見逃すことも出来ない。

 いずれにしろ、こうした莫大な密教体系をおぼつかない足取りではあろうが、一応はこなしている、我々日本人の能力に驚きと喜びを感じる。まだまだわずか二千年足らずの日月のことで、この先どうなることか憶測し難いのだが、汲み取る可き泉は涸れてはいないようである。



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