異域地巡礼の納札研究
善通寺紀要 第18号より



 二、納札について


 いわゆる四国の「御札」についてはフレドリック・スタール(※7)が有名。四国五十三番札所延命寺の銅製札について注目した所であるが、その他全国を行脚して多くの札を目にしている。しかしそれらは多分に千社札に関しての記事が多かった。

 近刊『同行二人の遍路』アルフレート・ボーナー1931著(※8)では八点の札写真が掲載してある。四国遍路界でみられたもので、A三点が千社札様、B別の三点が四国遍路様(西国札も含む)、C残りの二点は護符的なもので守り札とも称す絵像札である。

 A千社札三点も同じ千社札と言っても、随分と内容が違った意匠ものであり、またそこにえも言われぬ面白さがあるのである。Bにおいても二枚同様図であるものの、細かく書かれた用語に目を通せば、微妙な違い、願意などの意図が窺われるのである。C護符にしても多種多様の図像が用意されている。大師像と言っても、座像、立像など。また特殊な物語によって案出された像様もある。札所ごとの本尊はもちろん、個々の特殊な信仰による絵札もみられるのである。

 実は筆者はこれまで四万五千枚以上の札の調査に従事。解読に意を注いできたのであるが、その成果は多分に納札者(つまり遍路人の出身者)の動向に注目しての観点に傾いていたのは確かである。しかしその傍ら、摂待札に注目したり、また庶民信仰印刷史の側面として思案し続けてきたところでもあった。

 如上のようなことで、今回も今少し札の存在に立ち入って考えてみようとしたものである。

 前述のようにボーナーの史料から簡略ではあるが、札を三者に分けて考えて見た。つまり、A千社札・B遍路札(西国巡礼も含む)・C絵像札であるが、なかにはこれらが混淆合体したものもある。合体したものを考えるより先に「文字札」(まれに無字札=白札)も考えておかねばならない。大まかに「文字札と絵像札」及び「文字・絵の合体札」と云うことになる。

 しかし個々においては分別分離の致し難い場合もでてくるであろう。とにかく調査済みというか目にした限りの札を少し整頓して考えて見ようとするものである。


※7 フレデリック・スタール『納札史』
※8 『同行二人の遍路』2012.・5・10発行大法輪閣、佐藤久光・米田俊秀共著




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