駄家通信 31



【松山三津の俳諧師達】

 まさか?自画像。
 多分Perhapだったか、樵眠宛反古類に混じってあったものだ。


 どうやら同一人物を素描したもののようである。どこにでも居りそうな好々爺。


 次は樵眠あて「西陵」という人物。俳号であろうか?直接の関係は不明であるが、『小不尽集』は俳書であろう。楳月堂とある。となりは百千〇とある。〇は「穴冠」に「日」と「ホ」のようであるが、この字形は手持ちの漢和辞典には見当たらない。穴冠に「果」ならある。これとすれば、「カ す・あな」の意。合校とは二人で校正めいたことをしたというのであろう。


*百千…三津にいた人。太素とも。安政元年二月十九日没。小池三岳、五十一歳。
*小不尽集 半 一冊。 太素・魯丈編 不二山人青乙序(天保六年) 
 三津の無名丸(ナナマロ)の追善集冊。
 以上は『伊予の俳諧』星加宗一、愛媛文化双書23による。

 余談ながら星加宗一氏は新居浜出身。伊予の俳諧研究には必見の書を残した。小生は弟君と少しばかり酒を酌み交わしたことがある。

 なお同じく魯丈*石崎氏、三津屋裕三郎。梅月堂、1857安政四年閏五月十二日没…などのことが分かっている。
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