徳右衛門丁石の話

 その39−5


 〇町石勧進代舌

 これは徳右衛門の道標石設置の願意に応じて、五十八番佐礼山仙遊寺の住職・天尊師が浄財を募る文章を認めたものである。


 そもそも四国八十八カ所の由来並びに高祖弘法大師の御霊験は、古き文に数々説きはへ、しかのみならず御利益の広大なる事は世の人のしる處ならば、拙き筆の彩どる所にあらず、さればこそ星かわり物うつるといえども、参詣の人々日々月々にいやまし、信心の輩そのかずをしらず、この故に所々道しるべはありといえども、只恨むらくは道の里数の委しからざることをうれふる人多し、是によって高祖の尊像を上に据へ、長ケ五尺の町石を造立し霊場に立置ンコトを希うといへども、力ともしければ只願は十方有信の御方、一紙半銭にかぎらず浄財を我願海になげうって、早々此願を成就せば、禍を千里の外にはらい、福は潮のみちくるごとくまらんとしか言ふ。

佐礼山 仙遊寺 天尊題

 寛政六甲寅歳正月吉日

願主 朝倉上村徳右衛門



町石モデル図


 お四国参りの人々は増加していて、道しるべもたくさんあるが、残念なことには道の距離(すなわち里程)が委しくわからない。そこで、大師の尊像に里程を記した町石を建立しようと思うので信心な皆さんの援助をお願いするといった内容である。カットのごとく具体的な町石のモデル図まで示してある。小松町内の三基は、距離の所が「丁」で示されているが、形状はそのモデル図様式になっている。


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