徳右衛門丁石の話

 その39-6


 〇設置費用

 これは山間部と平野部では運搬費に差が出る。台石の有無でも値が変わってくる。

 一例によると、「代銀三拾五匁外にかき賃五匁」合計四拾目とある。これは山間部でのかき上げ代賃が五匁もかかっている。所によればこうした「石上ゲ」の施主が四国中に数多く存在している。

 前述事例その三で、三拾目。前神寺東口にある徳右衛門「これより三角寺十里」石でやはり三拾目。事例その二、香園寺前の標石も三拾目。これらは運賃設置代共であろう。阿波の十三番あたりでは、今治からの舟賃を別にして、一本代「三拾二匁、なミ石、長四尺、但シだい石無し」とある。

 基本的には今治産の花こう岩を使用しているが、他にも阿波の撫養石を使ったものもあった。中には地石をそのまま使った場合もあった。必ずしもモデル図様式でない石も相当多く建っているのである。


 〇伊予での建立数

 昭和五十九年発行の拙著『四国遍路道しるべ』では、大雑把な概略図に伊予国内五十六基を発表、その後現在は六十四基。一基は写真のみ確認。

 この六十四基のうち、数基には改刻や添刻などがなされているが、内三基は前号記載した中務茂兵衛の標石に様変りしている。

 小松町内の徳右衛門標石のうち、事例一の「是よりかうおん寺迠二十五丁」、事例二の「(手印)右一ノ宮道」が、後年に添刻されたものと考えられる。時代を経るにつれ、その時代に応じた改変が加えられていることがあるということである。

 諸行無常と言えば大袈裟であるが、へんろ道に於ける道標石にも時代の波が押し寄せて改変の皺が刻まれているのである。


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