徳右衛門丁石の話

 その39−4


【武田徳右衛門の里丁石】〜『小松史談』 126号、平成十二年一月十五日発行〜



文化九年申九月

(弘法大師座像)奉供養四国八十八箇所道丁石

水ノ上京上

 願主 徳右衛門


 この正面刻字は、四国中に道丁石を建立したことを記念した大師座像であることを物語っている。ここで「供養」とはどんな意味合いを持っているのであろうか。第一には、願主徳右衛門のお大師様に対する信心の発露表明であり、またお大師様の霊徳(不可思議な働き)を称揚渇仰するものである。その為にも一般の人々に実際の姿石像を建立することによって容易に礼拝できるようにしたのである。そうした思いを願主が供養として建立したと言うことであろう。



  ○丁石とは

 国分寺の大師石像には「道丁石」の用語があった。これは一丁ごとに置いた石のことを言う。古くから信仰対象の社寺、殊に霊山に設置されたもので、高野山の町石などが有名。四国路では貞治年間(十四世紀)の丁石が阿波で知られている。鶴林寺(二十番)や太龍寺(二十一番)辺りに設置されたものである。小松町では、横峰寺のものとして元文三年(一七三八)三月のものが知られている。


元文三戊午三月日今治石工

従峯一丁いづミや忠エ門

 施主妙口村曽我部久兵衛


 同時代のものか定かではないが、他にも、三丁から十三丁までの数基の丁石が確認されている。

 今問題にしている徳右衛門丁石は、それらとは少し異質なもので、四国中の遍路道に建てられたもので、丁石と言うよりは里程石と称した方が良いものである。小松町内の札所のように距離が短い場所では丁石であるが、長丁場では里(程)石になる。基本的には一里ごとの間隔で建てられているものである。


その39−3 / 目次 / その39−5