徳右衛門丁石の話

 その38−13


【武田徳右衛門の業績について】


 十一 改刻再利用

 真念法師は貞享四年(一六八七)に出版した『四国辺路道指南』の序文で次のように言っている。


一、巡礼の道すぢに迷途おほきゆえに、十方の喜捨をはげまし標石を建おくなり。

東西左右のしるべ并施主の名字彫刻入墨せり。

としつきをへて文字落れバ辺路の大徳并其わたりの村翁再治所奉仰也。


 標石の建立理由から機能・状態、さらには後日の修理手当のことまで言及している。機能的にはやはり方向を問題としている。真念から百年後になると経済的にも豊かになって、より大きな標石を建てることが可能になり、分岐に関係なく一里ごとに設置していったのが徳右衛門であった。まさに、〈辺路の大徳〉と称してよかろう。

 この徳右衛門標石も百年を過ぎると時代にそぐわない点ができたのであろうか。道筋などの大幅な改変の荒波を受けて、再治修刻されたものもある。一例が菊間町佐方字高城集会所に立っている標石。上部大師像を見れば徳右衛門町石なのであるが、左右への手印がある。


 



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