徳右衛門丁石の話

 その38−12


【武田徳右衛門の業績について】


 十 浮上と隠没

 ここ十年余り四国内を右往左往しているわけであるが、辺路道の改編整備もめまぐるしい。いつの時代も交通事情は複雑である。人の営みこそ道の原点でもある。ともあれ、かっては必要とされた道しるべ石も、自動車道になれば邪魔者として葬り去られたり重傷を浴びたり数々な取扱いを受けていたが、最近には道の文化を黙して語る貴重な存在として大切にされだした。

 カット写真の標石は最近になって徳右衛門のものと確認できたものである。以前は下半分が埋まって見えなかったのである。それが道路工事で掘り上げられて、道の脇に並び置かれた次第である。昔の写真では、「左へんろ・右あハ」とのみしか読めない。前述のように徳右衛門標石は左右よりも距離を問題としている。ちょっと見ではまさか徳右衛門のものとは思えない。おまけに上部の仏も地蔵菩薩である。たいていは徳右衛門町石は上部に弘法大師像を据えている。整形した切り石でなく、地石であるので、この近くの人の建てたものと思いこんでしまって、大して気にも止めていなかったのである。

 百聞は一見にしかず、向って左下には、確かに、「与州願主徳右衛門」の刻字がある。新しく徳右衛門標石を目にし、早速に拓本を取らして貰ったことである。新発見と騒ぐほどのことではないが、辺路道でバッタリとお大師さんにあったような気持ちになる。先人の善行に心躍る瞬間でもある。

 地石で洗練された形ではないが、地蔵菩薩がどっしりと座ったような安定感がある。徳右衛門標石としては異型であるが、大きく刻んだかな文字も素朴な味わいがある。徳右衛門さんの心願に共鳴した施主の善意の心が結実したものでもある。

 推定二百五十基、その内目にしたのが、百十基余り、まだ半数にも満たないが、この標石のように山中の道端に草に埋もれて黙している石も少なからずある。中にはさらわれて見知らぬ土地の庭に佇んでいる石もある。何が善で、何が悪でというわけではない。目にした石に関係した人々の善意の心を拝んでいけば良いのであろうか。





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