徳右衛門丁石の話

 その18


 徳右衛門が丁石建立を始めた寛政六年のものとして本稿「その4」で述べているのだが、もう一基同じく讃岐七十七番道隆寺北口の一基について。これは「その3」のカットで示したモデル図と大いに異なっているのである。

 モデル図では【正面】ア字・大師坐像・札所までの距離。そして側面(向右に)施主、向左面に願主。となっている。処が道隆寺のものは四面に刻字があるのである。正面は「四國第七十七番 道隆寺」とあり、その向って左面に「本尊薬師如来」とある。向かって右面には「是より右宇多津、道場寺迄一里半」と里程を指示しているのだが、さらに「発願者与州・・・・、勧誘者坂本伊右衛門」とある。「・・・・」はよく読み取れ無いが「徳右衛門」であろう。坂本氏は近在の有力者であろうか。

 裏面に「寛政六甲寅歳季冬日」とある。そして問題なのは下部に仏像らしきものが陽刻してあったのが欠けていることである。それは薬師仏らしくもあり、また弘法大師像のようにも見えるのである。見分け難いほど欠けているのは何故であろうか?単純な風化損亡ですまされることであったのであろうか?下部に彫刻していたのがわざわいしたのであろうか。願主・施主の用語がなく「発願者・勧誘者」の表現も凝っているし、本尊名をいれたのも珍しい。これは多分に「坂本氏」の意図が強く働いたからであろう。


 
77番道隆寺


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