先徳の御阿礼(十)



 おこがましくも<先徳の御阿礼>と大上段に題目をふり上げて、あれやこれやと日本古来の神話などを持ち出して、大日如来のミアレをさぐっているのだが、道範師(遍路絵図中、弥谷寺の処にその名がみえる)も

大日は日本の崇廟天照大神なり

といっておられる。さらに

小野僧正の詞に神おば天照大神と号し
国おば大日本国と名つけ祖師を遍照金剛といふ。
此の遍照は根本大日遍照とし大日の御名なり。
大日遍照と申すも天照大神と申すも只一仏の異名なり

小野僧正とは仁海さんのことである。

僧正の 赤き熱誠 ようやくに 壇下に示す 流水涼し

とうたわれている如く、祈雨の法にたけておられ、雨僧正と称されている。法力効験いちぢるしく、真言宗の大きな二つの流派、広沢流と小野流のうち後者の祖とされている人で、道範師はこの人より二百年位のちの人である。この仁海さんより百三十年位まえには、聖宝理源師も盛んに祈雨の法を修せられている。

 さて僧侶が神々・日本の神々(天照大神など)を拝するのは一見奇異な印象を与えるようであるが、これは明らかに、明治の神仏分離(分断)策によってもたらされた偏見である。これは一般の大衆に限らず、現今の僧侶のもてる大きな誤りであるといってよかろう。明治政府が神社保護という名目によってなした、少祠の合祀や山林の乱伐に通じたことで、大地(不動明王の坐せる磐石、或いは遍土といわれるお四国の土地、道など)に霊性を見出せぬ輩のもてる無知といってはいいすぎであろうか。筆者からして、こうした人達に対し、提示し得る何物かを如何程有しているものか、極めて怪しい。

動(ゆる)がざる 大磐石の 胸開き あらわれ出でし ひかりさやけし

 他流は知らず、おヽよそ高野山系の密教僧は、丹生高野両明神は勿論、厳島・気比の二神をも行中にはかならず拝することになっている。

 建長(一二五〇)の頃、高野山遍明院の児(ちご)に丹生明神、托したまひて、道範さんをはじめおほくの人々に、密教の深義を示されたといわれている。〈托す〉というのは神託のことで、こどもに神様がのりうつって(つまり子供の口をかりて)発語されることで、めずらしいことではあるが、昔から神意を伺う方法として知られている。しかしこの場合は、神の方から(道範さんらが要請したのではなく)時所位を見計らって、子供の口をかりて、神意には非ずして密教の深義を教えられたものである。これが日本の神様で、お大師様が托されたのでない処が、霊的事象のくしびにしておもしろいところであろうか。

 もともと宗祖弘法大師様にしても、高野山開創に際しての物語に神々の名がみられることで、何を今更の感無きにも非ずということだが、単純に密教の日本化に際しての、方便として神々を持ち出したもんもであろうと断じてよいものであろうか。

 地球は一つ・世界は一つなどグローバル(グローバリズム)といった言葉を口にしはじめて久しい時が経っているのだが、先程、小野師のコトバに〈一仏の異名也〉とあるこの〈一仏〉とは一体全体何者か。外ならぬ〈一神の異名也〉といって何ら変わり無き処ではなかろうか。



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