南天龍宮城(7)


【あなたが二人目だ】

 これはナグプール空港で会ってすぐホテルHeritageに向かうときだったか?「あなたが二人目だ」、秀嶺師が小生に発せられた言葉である。つまりは龍神問題である。もう少し後の機会だったかも知れないが、驚いたことには翌11日には、吉野裕子女史の『日本人の死生観』(1995再刊?)を持ってこられており、小生に一読を薦められたのである。
 残念ながら未読本であったが、帰国してのことにしてお返ししたのである。インドで闘争や托鉢の合間にこうした文献にも眼を通しておられたのである。これには正直敬服の至りである。
 吉野女史には五行思想などの著述もあって、これは少し難しい人だとは知っていたが、とうとう帰国して眼を通すはめになった。単行本は手に入らず、全集本を買った次第。とにかくも秀嶺師が龍問題に多大な関心を持っておられたことは、明らかなことであった。それゆえに(1)で紹介した「再刊によせて」の文章が綴られたわけである。

 さて11日には先に、ハガキやら養老院慰問の果実などを買いだして、それからまた佐々井師の迎えの車でマンセル(JPT3:30〜4:30)に行く。


マンセルへの道


マンセルへ 店も見られる


 JPT5:00頃から一時間ばかり登拝。山全体が古代寺院遺跡で、麓には龍樹湖もあり。文殊師利菩薩大寺はその西南麓に建っている。この日温度は45、6度であった。湿気が無くて日本でのようには暑くなかった。遺跡の発掘は回教徒の学者にゆだねたとかで、仏教寺院だとの確固とした研究成果はまだ出来ていない様子。しかし山全体が大きな寺院僧坊を構えたものの様であった。東麓には中国寺院なども進出してきている由。ようやく迎えの車が来て、コーラを飲む。


山寺遺跡


龍樹湖を望む


 一服して養老院へゆき、読経供養。この日は竜樹大石像が移動される予定であったが仲々進展しそうになかった。やはり印度のことだから。45、6度の為ばかりとも云えない。

 マンセルJPT8:45発、ホテルへは10:00着。結局吉野女史の本は返却。食事は現地時間の8:00より。



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