南天龍宮城(12)


【国宝平家納経々箱の紋様】

 国宝平家納経と言えば広島の宮島、厳島神社である。小生妻は対岸大野の出身である。何度か連れだって宮島の水族館にも参ったりして、シカと戯れたりもしている。しかし平家納経は目にした記憶はない。その納経々箱の紋様を知ったのは、インドマンセルの竜樹菩薩像台石に彫刻してあったからである。その真意はともかく、秀嶺師の竜宮城思慕の為すところであろう。
 昨年帰国の際に秀嶺師は宮島へは勿論のこと、先祖出身の土地、広島市郊外北部安芸高田市の佐々井厳島神社にも参拝。翌日には神山・〇〇〇に登拝後、佐々井厳島神社を再訪しておられる。サンフレッツ(三本の矢)で有名な毛利氏の活躍した土地柄である。しかし岡山の佐々井姓はもっと古く広島から移動したようである。つまり平家に連なる何かがあるのであろう。
 インドのナグプール・マンセルは竜種族の一大拠点なのである。そこに《日本的竜宮城の代表としてある厳島神社ゆかりの紋様》を導入設置することになったのは、途轍もない神意が窺われるのである。勿論平家追慕の念も添えられているのであろう。
 しかしその紋様彫刻をマンセルで眼にして、さらに帰国後あらためて驚いたことがある。覚鑁上人の『五輪九字明秘密釈』に大いに関係したものであったからである。それは日本的な創作(造形)とされる五輪塔が彫り出してあったからである。下半分には双竜を従えて五輪塔婆が厳然として表出している。
 覚鑁上人みずからも原理的に述べて、その絵姿まで記録しているものであるが、具体的な形状として表現し出したのは日本が始めとされているものなのである。原理としてはインドで発生して中国などを経て日本に伝播し、遂には金石などで具体化されたのである。その濫觴については不明確であるが、平安時代真言の徒が造形化し始めたものと考えられている。
 真言密教教理の精髄として五輪塔が表現され、さらに竜種族の姿が一緒に国宝の紋様として彫刻されているものを、秀嶺師は竜樹大菩薩石像台座の竜宮城図に添えていたのである。ところがそのうえに、後日知った事であるが、立ち上がった菩薩像には正面頭上側の左右にこの紋様が添えてあったのである。台座では裏面に添えただけのもであったが、結果正面上部に厳然と立ち上がっているのである。(方角的には日本の空であろうか、はたまた宮島の海であろうか、眼光やさしく数万年の夢を獏して輝いているのである。)



五輪塔模様



龍樹菩薩大石像 photo:井上空龍



尊顔



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