遍路と原爆(一)



 これまで遍路に執着して人生を演じてきたわけであるが、あの原爆=原子爆弾についてはことさら関係付けて語ったことは無い。ところが昨日人名検索で「喜代吉五郎」の名を目にして、あらためてあの原爆について考えてみざるを得ないことになった。

 小生は現代文明論を語るような素質は持ち合わせていないのであるが、どうしても原爆の話題がアンダーカレントに存在しているのは宿命的必然性である。「デスティニー」という甘い口癖ではない。多少忌避してきた憾みもあるのだが、ついに我が身内に流れ始めたようなのである。これまで堰き止めていたのは何者であろう。

 「時宜を得た」というのは社会の流行惰性に便乗するのではない。ここまで(還暦)の歳を重ねずとも、おのずから(自然と)染み出して来るものなのであろう。

 本日は、今年の市の生涯学習大学の講座『遍路学』初めにあたり、ゾロゾロと動き出したものがある。かって愛媛新聞の四季録連載中、祖母の原爆後遺症について触れたところ、早速にA氏が訪ねてこられ、原爆症認定の問題を語っておられた。生憎と小生は原爆投下後の広島に誕生した身で直接には関係ない。いわゆる「原爆二世」の身である。

 原爆二世であることは黙って隠していたほうが良い、とのアドバイスを頂いたこともある。しかし妻には同じ被爆者の娘を貰ったので、それほど二世であることは問題にならない。世間では色んな噂話が飛び交っているのだ。

 さて「喜代吉五郎」である。驚いたことに中国の新聞に(広島の中国新聞ではない、チャイナの新聞である)「原爆の絵」が掲載されているのだ。日本画の大家・平山郁夫画伯の「広島生変図」にも先行連動しているものなのである。それは身内びいきということではない。より生々しい事実から生れた絵なのである。祖父五郎の絵は小さな水彩画であろうが、平山画伯の絵、縦一・七メートル、横三・六メートルの屏風の絵の具にも負けない生々しさ=原爆の息遣いがある。



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