〔二十一〕 人生は 生まれながらに定まりて 思念強さの空模様 しっかと筆を手にとりて 己が心の華開く 父母の恵みの賜物か はたまた大師の助っ人か 三・五の年も無事果し ようやく兆す出家の念 己が胸内のキャンパスに 描きし姿すみぞめの 心はやれど浮世草 風のすさびに右左 揺さぶり受けて過ぎし日々 三・六 .三・七.三・八と 書物片手に思案曇 見知らぬ国の山川に 己が心の影とどめ そびゆる山のふもとには 念仏修行の人の文 南無の観音と言い訳よりは やはりかわりに南無阿弥陀仏 宗旨違えど親様の 奥の奥なる大ミオヤ 帰一の心はことならず 丸い地球に角砂糖 溶けてとろけて甘み出す 辺路のルツボに身を投じ 汗と流れし罪障も 丸い器にほろにがき コフィーの色にかき消えて 白さも清がしミルク添え 新居の館の居を定む さて、辺路行をすましてのち現在地へたどりつくまでのことであるが、七月六日に高野山の奥の院へお礼参りをして、すぐに京都へ下り、米丸君と四条河原町で待ち合わせて、さらに大学時代の友人、O君も呼びだす。O君とは数年振りに会ったのだが、しばらく酒杯をかたむけ四方山話に時をすごす。 七月七日には京都大学に在学中の後輩、K君やT君らと比叡山へドライブ。両君とも高校時代にはそれといったつき合いもないのだが、まあ同郷のよしみということで、翌八日にも一緒に嵐山嵯峨辺りにドライブしたのであるが、その当時T君がどういうわけかお不動さんを信じて御真言をあげていたのを想い出す。 七月九日には高槻市に行き、大学時代の同級のS君をたずねる。当時は阪大の院生だったようにおもう。やはり同級のK君も呼んで夕食を一緒にいただき、すぐに夜行にのり、広島には十日の早朝に着く。 それから一週間して、七月十七日に今度は車でもって四国に渡る。まず周桑(丹原)辺の、辺路中お世話になった家々へお礼参りをして、湯浪のおじいさんの処にとめていただく。もちろんこの際梅焼酎を一本さげて、辺路中に八合も飲ませていただいたお礼もしたのである。 十八日の朝の夢見がよい。一つは花園で、種々の花が咲きほこり一面みどりのジュータンを敷きつめたような夢で、今一つは、八重の塔が建っている夢であった。午前中に横峯寺へお参りをして、妙口のHさん宅でおそくまで話などして、風呂もいただき、夜おそく室戸へとむかう。 西条より一九四号線に入り、寒風山を越えて大川村に入り、まったくの深夜で対向する車もなく心細いおもいをしたものである。それでも夜明け近くには大杉駅に着き、すぐに車の中で寝入る。七時にはバスの回転に邪魔になるとのことで起こされてみると、タイヤがパンクしておりあわてたものである。 室戸市佐喜浜には正午前に到着。当地の裏山忠次郎さんは小生辺路中最初に善根宿を下さった人である。まずはその時のお礼と、今一つにはその村のお堂が無住かどうかも確かめる目的もあったのだが、生憎と堂守りの人がおられ、結局はその村におちつくことにはならず、広島からあまりにも遠方すぎるし、今となっては幸いなことであった。その時分におじいさんが、お盆の準備に、河原で焚く迎え火や送り火のまきを、一人に千八十本をたばねたのが二束いるからといって、杉か松の木を小割していたのを想い出す。 二一日には広島で祖父の喜寿祝いがあるので、佐喜浜にもゆっくりとしておれず、夕食をよばれ風呂をいただき一休みして、また夜の五十五号線を北に向かい、鳴門駅前でひとねむり。明けて二十日は倉敷にゆき、大原美術館を見学して夕方広島にかえる。 二十一日には祖父の喜寿祝い。二十二日も広島で過ごし、二十三日、今度はどうでも空堂でも見つけようとの意気込みで、竹原・波方経由で今治に入り、世田薬師西山興隆寺にお参りし、近在の道端に手頃な空堂は無いものかと、行きつ戻りつするうちに、フィッと番外札所生木の正善寺の和尚さんをおもい起こして、この人なれば何か思いあたることもあろうとたずねてゆく。 この和尚さんとは、一度は自坊の正善寺で、二度目は讃岐の雲辺寺で団体のヘンロさんの先達をしておられたのに出くわしていたので、ただそれだけの多生・多少の縁を頼りにたずねに参ったものである。 雷が鳴り、雨の激しい日であったのだが、きゅうり封じにお参りの老婆を、自宅まで乗せていってあげて、それから正善寺さんの紹介された××寺にまいる。 和尚さんは留守だとのことで、小一時間ばかり待たせてもらうに、六時すぎには帰ってこられたので、○○の庵のことなどを伺う。後日二十五日に○○庵の村の人の返事を頂くことにして、夕食を接待していただいて辞する。 二十四日には何もすることもなく、松山の四十六番浄瑠璃寺辺のお世話になった家へ行ってみようとの心が起き、早速そちらへ参り、また長珍屋さんに善根宿をいただくことになる。 二十五日には、例の前神寺の手前でバッタリ会った、同級生のS君に電話して昼食を共にして、夕方には約束通り××寺に参る。和尚さんが気の毒そうに話をされるのには、村の世話役が不在で(土佐に出掛けておられるとのこと)まだ小生の件を話しておらぬとの事。三十日に又返事しましょうとのことなれば、ただちに松山にとってかえし、S君と街にのみに出る。 |