徳右衛門丁石の話

 その17-1


 前回紹介の丁石の正面刻字は「是より三ばんへ廿五丁」と順路を指示したものには違いないのであるが、側面「・れより一ばん江十丁」は逆巡りのしるべとなっている。このことは願主徳右衛門が伊予国の人物であることによることは前回指摘しておいた。それと寛政六年の丁石が八十八番手前にあることと関係しているのではないかとも推測されることも述べておいた。一体全体四国中に丁石を設置していった様相については詳しく再現してゆくのは至難の業である。そこをなんとか構築できないものかと試論を進めているわけであるのだが…。

 石質については当初伊予今治の大島石=花崗岩が主流であったのだが、中途から徳島撫養石=砂岩が加わっていることが注目される。他にも地域的なものが少なからず使用されているのだがと位しかわからない(これは不勉強の謗りをまぬがれないところだ)。こうした中で七十一番弥谷寺口(俳句茶屋手前)の丁石を見てみよう。先日同所にある茂兵衛の標石調査に際し、久しぶりに目にしたのである。これがどうやら砂岩のようである。但し撫養石かどうかについてはよう断定確信を持てない。さらりとしたきめ細かい石質ゆえに刻字にフリガナを添えた美品なのである。…とここまで稿を進めてきてそのフルガナの部分を丁寧に撮影していない事に気が付いたのである。茂兵衛の方に気を取られていたので止むを得ないが、取り敢えず呈示しておこう。



七十一番弥谷寺口の丁石


「与里 古れ 満ん だ ら じ ま天」=「従是曼荼羅寺迄」


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