徳右衛門丁石の話

 その13-3


 名称は《白藤大師堂》となっていますが、納経の版木をみれば本尊は「延命地蔵菩薩」となっています。
 これは覚心さんが建立された大きな石の地蔵さんがあるからでしょう。やはり現在の境内地に移転されてあり、立派な囲い堂がしつらえています。

 台座の銘文は、

奉納大乗妙典六十六部

日本廻国十方施主万人

講供養

 羽州村山郡寒河江村

願主覚心法師

明和九辰天七月廿四日

とあります。
 お地蔵さんの建立は明和九年ですが、接待堂の方はもっと早く明和四年に建てられたようです。 

(キリーク)奉納大乗妙典六十六部日本廻国 供養塔

常接待建立十方施主

出羽国最上村山郡寒河江村

願主 覚心

 明和四年十一月にお堂(茶堂)が完成、常接待が始められた記念の供養塔です。この常接待の具体的内容が問題ですが、湯茶の接待に使った、鑵子(カンス)というものが残っています。施主は「江戸芝松本町 万屋利兵衛」、天保十年。さすがに難所の雲辺寺麓にある常接待場だけに貴重な遍路史料があります。

 代々の庵主墓も数基移転してありました。そして、初代の覚心さんの位牌だけは残っていました。

 さて、長居をしました。ここから少しばかり行きますと二、三のの小さな墓石とならんだ自然石があります。

享保九甲辰年

邊路

六部 札供養

十一月二十一日

 どのようないわれが有るのか知りませんが、刻字通りに解すれば、辺路さんや六部(回国行者)さんのお札(接待や善根宿の返礼にもらったお札)をこの石の下に埋めて祀ったものではないでしょうか。




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