徳右衛門丁石の話

 その13-1


 ここで少し横道に這入ります。前回紹介の白藤大師堂についての拙文があるので再掲。『同行新聞』第226号―「千人宿に残された、納め札は語る」です。


 ○『納め札は語る』その8 同行新聞昭和59年8月21日第226号

 同一人の物と思われる一枚の札があります。


天下泰平 羽州山形…

A 南無大師遍照金剛

風雨和順亮般


 もう一枚の札は書き振りがA札より詳しいのですが字体などからしてもA札より古く、亮般さんにとって、初期のもののように思われます。しかし両者ともに御宝号(南無大師遍照金剛)があり、弘法大師信仰の強かったことが窺(うかが)われます。


天下泰平 五穀豊熟 風雨和順 万民快楽

B 南無大師遍照金剛

奉拝礼 本朝神社仏閣霊場

出羽国村山郡 修行者 亮般


 ます目の都合上実物の書式と違いますが、大体の所は理解出来ると思います。

 Aの札は大師信仰、すなわち四国遍路の札に相違ありませんが、Bの札は神社も巡拝するということで、回国(かいこく)の修行者の札となっています。

 もちろん出羽国の村山郡(山形県)からお四国までといえば随分な道のりなので、中途にある有名な社寺をも拝礼してきたのでしょう。あるいは酒田港より船便を利用しておられたかも知れません。本稿では、四国からすれば大変な遠方の出羽国の遍路さんについて述べてみようと思います。


 ※出羽国

 亮般(りょうはん)さんは山形県の村山郡の出身ということです。現在、村山氏、北村山郡、西村山郡、東村山郡があります。隣には、寒河江(さがえ)市、山県市、それに将棋の駒で有名な天童市があります。そして何よりも大切なのは、羽黒(はぐろ)修験のメッカの湯殿山や月山がすぐ西の山並みにあることでしょう。

 さて納め札三千五百五十一枚のうち、出羽国の札(生国の記してある札)が十一枚、他の奥州札が十二枚ということで、全体における比率は極少ですが、奥州札の約半分が出羽国分ということになります。参考の為に列記してみましょう。

★弘化3年4月 出羽秋田
★弘化3年9月 同行三人 出羽国秋田城下
★嘉永5年11月吉日 卯年 羽州東置賜郡山村
★安政6年8月 儀右衛門 出羽国東置賜時田村

 次に「無年代札」。

★出羽秋田郡 同行三人 安次郎
★出羽国庄内 名十郎
★出羽国米沢時田村 儀右衛門
★出羽国 北村屋
★出羽…

 以上11枚。



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