徳右衛門丁石の話

 その12


 讃岐分の徳右衛門丁石としては雲辺寺山北麓のものを紹介しておきましょう。『四国辺路研究』第20号の表紙写真に使いました。これより「小松尾寺へ一里」の刻字。今はほとんど人の通ることの無い山道。当然にへんろ道ですが、実は此処には「美麗な庵」があった場所なのです。雲辺寺から急坂を下り、やや平らかな道筋に出たところです。『四國遍禮名所図會四巻』では次のように記述してあります。

庵 山の中程にあり、行暮の節ハ宿をかす、甚だ美麗なり。

 夕ぐれ時に、雲辺寺から急な坂道を下りてきた辺路にとって、ほのかにゆらぐ灯火は格別なものであったろう。そのうえ美麗な建物で、一夜の泊りを許すというものである。寛政十二年(1800)のことです。現在この庵は一キロメートル余下がった北峯に「白藤大師堂」として移転護持されています。明治時代に陸軍演習所かしらになって立ち退かざるを得なかったそうです。二十数年前に訪問した時には老女が庵守として住んでおられました。遍路途中に縁あって居ついたのでしょう。死後は故郷の和歌山に引き取られたということでした。カットの『南無大師』後藤信教、昭和二十九年再販はその鶴見タマノさんが所持していたものを貰ったものです。鶴見さんは昭和二十六年に遍路をされたようです。

 林間に二基の石像がありますが、向かって左側が徳右衛門の石です。日陰が多く苔がよく生えています。

 白藤大師堂については遍路資料として見のがせないものがあります。次回に少し述べておこうと思います。



鶴見庵守所持本『南無大師』


「小松尾寺へ一里」石



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