二 丁石の現認数 *「ア△」は梵字と大師座像の彫刻である。 〇讃岐国 〔十四〕
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以上が四国中で現認した武田徳右衛門が願主となって立てた丁石(道標石)である。 阿波 二十土佐 二十八 伊予 六十七讃岐 十四 合計百二十九基となる。実際にはこの倍数より多くの標石を設置したようである。約二百年前のことであるが何故にこれほどの事業―遍路道標石設置の事業―を徳右衛門は為したのであろうか。 四国遍路界における道標石設置史については多くの人々、中には無名の村人達によるものも少なからずある。遍路隆盛の元禄時代に先駆けて、真念法師らによるものもあったのであるが、本稿では伊予の武田徳右衛門の事績について考えてみるものである。 前掲墓誌銘では「四国丁石」(の設置)を企てたとある。この「丁石」とはどんなものであったか。次に紹介する如く、一応はマニュアル的なものもあったが、個々の石を観て行くと建立に際しては様々な事情があったようである。 |