茂兵衛の添句標石
〜同行新聞 昭和59年5月11日 第216号より〜


 茂兵衛の添句標石 <その6−1>


 ◎冷善と津太嶋

 四国霊場七十六番金倉寺は、茂兵衛さん(義教)にとっては大切なお寺です。
 それは、明治廿四年にかかれた履歴書の次の文によってよくわかる事と思います。すなわち、  

一、明治十年三月五日。金倉寺前住職、故少僧正松田俊順ニ随ヒ三帰五戒及音経般若心経諸真言等を伝受ス

とあります。
 そしてこの用紙もやはり金倉寺用のものです。

 さて『冷善』――これで正しいのかどうか少し心配ですが、金倉寺門前のたばこ店横の添句標石にこの名がみられます。

 真如しんにょ乃 月かゝや久や 法の道 ? 冷善

 やはりこの句も、「法の道」を詠んでいます。金倉寺境内大師堂前にある句と連なっているようです。

 法の香やいと奥深き――法の道――この道筋には、  

 吹風も清しく
 法の花も咲きほこり
 迷いもとけて
 心うれしく
 只ひとすじに

 こう々と照り輝く(遍照金剛の)真如の月があります。
 実に、この道端のしるべ石は、真如の月を指さしているようです。
 この月は、また四国霊場三番金泉寺辺りにも照り輝いています。


 煩悩の やみを破りて 

 この歌は、明治三十五年十二月、百九十二度目の標石に誌されています。
 冷善さんの標石が明治二十四年十一月、百二十一度目。それから十年の間に、茂兵衛さんの心境も一段と開発されたものでしょう。
 この十年間、『津太嶋』さんの一句を除き、五基の添句標石が《うれし》きものとなっています。

 そして今一つ興をそそられるのは、施主の奥さんかと思われる戒名が、この句に関連していることです。
 施主は、大坂天神橋一丁目の熊木安治良という人です。そして、

 知徳院真如妙諦大師

というのが戒名です。
 真如という語が輝いているではないですか。

 さて、こうした月を眺めていると、心のすみずみまで洗われる思いがします。そんな処に浮かんでくるのが次ぎの様な、のどかな風景でしょうか。

 鶴多ちし あとへ往ゆきむ わか菜可那なかな 吉備 津太嶋

 これは、『香川県善通寺市吉原町一〇七〇番地坂口定雄氏宅(旧坂口屋の遍路宿)前にあります。此の道は四国霊場第七十二番札所曼荼羅寺より第七十三番札所出釈迦寺へ往く、旧遍路道の道中』半ばの処にあります。

 この添句標石のある処の旧坂口屋の御主人(六代目)に色々とお話しをうかがいました。
 茂兵衛さんも何度かはこの坂口屋さんに泊っておられた由ですが、生憎と御主人は記憶にないそうです。しかし「茂兵衛定宿」の看板があったそうです。
 あるいは子供時分には、茂兵衛さんに頭をさすってもらっているのかも知れません。

 そして肝要な事を耳にしました。ここ坂口屋には、岡山辺りからの遍路さんがよく来られたということです。これで先程の句にある『吉備』というのが理解できます。
 明治廿八年乙未正月、百四拾度為供養の建立ですから、それ以前にこの坂口屋さんで知りあったものでしょうか。
 ここ(曼荼羅寺)と岡山のつながりは、接待講の記念碑(百年、百五十年)が曼荼羅寺の境内にあることからもよくわかります。
 現在でも岡山からの接待行は行われているそうです。

 (付記)
 同行新聞198号(四国遍路中興の祖・真念法師の道しるべ)で、真念沈没?と書きましたが、幸いな事に曼荼羅寺の境内におさめられていることがわかりました。
 これは先程の坂口さんが改修工事の際に運ばれたそうです。ホントに良かったと思います。



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