二、四國禮場道中記(横冊) 題簽はない。表紙を開いて一頁目にはまず座像大師図がある。真念の『道指南』の序をまねて簡略に用意の事から書き始めている。 四國禮場道中記 用意の事 札ばさミいた 長六寸 はヾ二寸 おもて書やう ユ奉禮四國中霊場同行二人 うら書やう ユ南無大師遍照金剛国郡名印 右の如くこしらへる成り、但シふはこにてもよし かミ札書やう 奉納禮四国中霊場同行二人」一頁 札はさミのかけやう、じゅんにめぐる時ハ字頭を 左りにし、逆のときハ右にかくるなり 一おいだわら・めんつう・笠・つえ・ござ・きやはん、其 外もちもの心にまかせらるべし、惣じて あしなかにてつとむると云つたへたり、わら うずハ札所ごとに手水なき事ありて 手をけがすゆへに、但シざうり、わらうつ にてもくるしからず 紙札うちやうの事、其札所の本尊大師 太神宮そうじて日本大小のじんぎ・てん 子・しやうぐん・国主・しゆくん・父母・師長・六しん けんぞく乃至法界平等りやくとう つべし、宿札・茶札用心あるべし、なん女 ともかうミやうしんごん・大師の法がうにて ゑかうし、其所乃うた三べんよむ也 与州宇和嶋領 此書物出ス所颪部村本家 虎屋喜代介板」二頁 四國禮場道中記、虎屋喜代介板 書きだしは以上である。用語の異同とか、前後入れ替わったりしているが、大よそは真念本の書き出しを踏襲している。 しかし次頁からはお勤め用の経文が並べてある。項目だけを言えば、まず「諸しんごん」(三、四頁)、これは十三仏であるが、十二番目の「だいにち」如来が、「たいぞうかい」と「こんがうかい」の二つに分けているのが珍しい。 「おんあびらうんけん」と「おんばざらだどはん」であるが、現行は合わせて「おん あびらうんけん ばざらだと ばん」(先達教典 四国八十八ヶ所霊場会)と唱えるのが普通である。 次「しんきやう」(五、六、七頁)。般若心経であるが、仏説は無くて、「まか」から始まっている。全てかな書きである。 次「十句くハんおんぎやう」(七頁) 次「さんげもん 三へんとなふへし」(八頁)とあって、同頁後半部には。太字で「四國遍路道志るべ」と題して、申し訳程度?に「阿州 むや舟付なる戸ヨリ壱盤三り」の道案内がある。そして次頁からは各札所ごとの案内をコンパクトに四行分に納めている。(九〜二十三頁)。 一頁六ケ寺ずつ。最終頁は四ケ寺で終り、あとはお決まりの四ヶ国の道法云々が付け足してあり、これでおしまいである。 札所の内容は本尊姿絵が上部にあり、その下に、一行目は札所の番号と名前。二行目と三行目には御詠歌。四行目には次の札所までの道のりが記してある。 少しだけ走り読みするなら、「十三 一のミやじ」、「二十四 ひがし寺」、「三十 一のミや」、「三十七 にいた五志や」、「三十八 あしすり山」、「四十一 いなり」、「五十三 ゑんミやうじ」、「五十四 ゑんめいじ」、「五十五 べつくう」、「六十四 さとまへがミじ」、「六十八 古とひき」、「七十八 道じやうじ」、「七十九 志ゆとくてんわうじ」…概して札所名は古風な表現である。 |