〜大日を求めて〜 少し拙文の題について考えてみよう。先徳というのは、有徳の先輩・高徳の僧。ここでは具体的には、弘法大師空海を示すものか。或いは、万徳を円満具備せる釈迦如来、ひいては大日如来をいうべきか。 《徳は岩也》 この岩は、日本国国歌にある、 サザレ石ノいわを となったものかどうか。 さて次には、御阿礼。いつもながら広辞苑のお世話になると、@神また貴人の誕生・来臨をいう。天照大神が天の岩屋戸がくれの後再び出現するのも、この思想の反映。民間信仰にも貴人(まれびと)の来訪を祝福する儀式がある云々。 かんたんにいえば、誕生来臨ということだが、これを自身内部の心中に、神々の来臨影向し給うのを、ミアレと考えてもよかろう。或いは、鎮座したまいし神々のハタラキ給う姿をいうか。 神がたりである、天の岩戸開きを、迷霧におおわれている心の戸開き(ミアレ出現)として眺める方面もある。ここの処は簡単明了に、開示悟道ということばをおもい出せばよかろう。 先程《徳ハ岩也》といったこの岩は、天照大神をいつくしみ育てた、天の岩屋かも知れぬ。この岩屋からミアレしたまいし天照大神というところを、空海上人の一代の何処に求めるか、というと〜突然にお大師様の生涯に、日本古代(神代)の事件を当てはめるのは、不当かつ不敬のそしりをまぬがれえぬ処なれど、しばらく精神の形態、相似の変様とかいったコトバにまどわされつつ、大日如来のミアレについて、日本的?に追求しているつもりである。〜入壇灌頂の投華得仏に岩戸開きの時機を設定するも可なりか。 ここでおもい起こすのが同行新聞76号二面釈龍栄氏の記事、四国へんれいの密意にあることばである。 今禮ノ功徳ニ依テ合蓮開ケテ仏現シ再ビ八葉ノ花台ニ坐シ無明ノ闇晴テ本仏ヲ覚ル この四国禮之序文作者は、禮の道を、八葉四重の円壇(胎蔵まんだら)にたとえているのだが、「無明ノ闇晴テ本仏ヲ覚ル」もが遍路における《心の岩戸開き》であり、さらには唐で入壇灌頂して大日如来の秘印を授かったお大師の岩戸開きであったのであろうか。 しかし、この唐における時よりももっと劇的な岩戸開きは、求聞持法成就の暁にみられる。同行新聞69号一面大師若かりし日にみられる、阿波大龍の嶽から土佐室生門の崎へと遍礼修行した時に出現(ミアレ)した光明こそ天照大神の岩戸開きに比するのが適切であるようだ。 ○影向示現 御阿礼のことから、天の岩戸開きといった大きな話になってしまったが、白隠さんかしらのコトバにも、大悟数回小悟数を知らず、といった具合で、各人の心の戸開きには種々様々の形があるようだ。神話などの岩戸開きはともかく、神通力をいただく際の開眼(耳では開耳とすべきか)とか、また弘法大師の分身に出会うといった時に、ミアレということばを使用してもよかろうとおもうのだが、まあここの処は、先徳(大日如来)のミアレとしての弘法大師、さらには弘法大師のミアレを受け継いだ人々(つまり真言宗の僧侶にかぎらず、大師の精神に感応している人々。お四国を歩む人々)〜こうした人々の歴史上の活動に於ける足跡をもミアレとして眺めているのである。 |