先徳の御阿礼(二)
〜同行新聞 昭和55年3月1日 第81号より〜



 〜高野山山主曼荼羅模様〜

 前回は偏礼絵図中に名のみられた、醍醐聖宝理源師・野山前寺務弘範・道範師のことなどを記していこうとしたのであるが、性急の用なき一見悠長な精神は、ややもすると曼荼羅模様の人脈に目もくらまされんばかりである。弘法大師空海、御入定してのち高野山々主六世観賢の没する九百二十五年までわずか90年、我国密教徒が師資相伝現在に至るまでゆうに万を越すと思われる人々がいろいろな形で、真言宗を展開してきたわけなのであるが、この我国における密教徒原初の人脈にはまことに興をそそられる処多大であるのは一人新米の我身のみではあるまいと思う。

 さて高野山々主一世、開祖弘法大師空海が奥の院に御入定なされたのが西暦八百三十五年、それから九十年して第六世観賢僧正が死去(ここは寂すとすべきか)。此の年同じく第五世伝灯大法師峯禅も同年同月、延長三年六月十一日に寂。この二人は生まれもわずか一年ほど観賢が早いだけで、ほとんど同じ時代をすごしている。
 両名共に聖宝尊師の流れを汲む人で、故あって第四世権律師無空が高野を去って荒れるにまかせていた処、観賢並に衆徒の推挙により峯禅が座主になり、後病を得て観賢とかわるのである。

 余談ついでに、弘範・道範師等を一先づ措いて、高野山開創から百年間の人脈の一端を探り、ひいては師資相承を本分とする密教の活動態を眺めてみようとしているのである。これは歴史的な詮索というよりも自分が密教徒の先端に位置するものとしての、与えられた課題であろう。

 繁茂する枝先の微妙なあやも所詮朴訥たる茎にその変異(妙異)の源をたずねるべきか。或いは地中深く無明の心根がひそんでいるものか。

仏法はるかに非ず
心中にして即ち近し

 このコトバを自身の心中に投ずるならば、一見神話的な大日如来よりの相伝からお大師様を八祖とし、現代密教徒にまで六十数代にわたり、その代々の伝承中に生じた種々様々の葛藤をもがうずまいている。

 ここに、ややもすると歴史的時間の経過に、己れの本体を見失いがちな日常における、せめてもの反省の糧にでもしてみようとのささやかな抵抗を試みているのであろうか。


○三十帖策子ノコト

 これは先程記した、無空離山に大いにかかわりあることである。先づ三十帖策子とは何物か。

紙本墨書。蒔絵箱入。国宝。
弘法大師請来。仁和寺蔵。

とある如く、大師在唐の節、師の恵果や般若三蔵等より伝受相承したるものを、橘逸勢や写経生の手をかりて書写したるもの。真言宗無二の霊宝である。これがどういう経路で現在仁和寺の所蔵となったものか。

 *

 お大師様は八百六年(延喜二十五年・大同元年)帰国後すぐには京にのぼらずに、九州博多にとどまり我国最初の密教寺を創建。東長密寺といい、現在は別の地に再建されている。京には翌年に入っているが、それから御入定までの約三十年間にゆかりある寺名をつらねると、 (筑紫観世音寺) 久米寺 東大寺(真言院建立) 山城乙訓寺 高雄山寺 神護寺 そして八百二十三年正月に教王護国寺(東寺)が空海に授けられこれ以後真言道場とされる。
 なお高野山にはこの数年前より伽藍建立をはじめている。八百二十五年伊勢金剛証寺創建。八百二十八年空海は如意尼の為に如意輪法を修す。八三〇年如意尼に秘密灌頂を授ける。八三〇年如意尼空海に随って剃髪受戒。そして承和二年(八三五)三月。十五日には実慧に東寺の寺務を付嘱、真雅には東大寺真言院と弘福寺の寺務を委嘱している。
 二十日御入定前日、武庫山神呪寺の如意尼が歿している。翌二十一日寅の刻(午前四時)衆僧の弥勒真言に抱かれて金剛定に入られた。
 この御入定に先だつ三月十五日、実慧に委嘱された東寺の大経蔵に、実は先程の三十帖策子をはじめ多くの請来の秘物がおさめられた。そしてこれらの開封閲覧は、実慧、真雅以外の者にはみだりに許されなかったのである。ところが貞観十八年(八七六)大師御入定後四十一年経って、高野山座主の真然がその当時東寺の長者であった真雅より借りうけて拝覧の後東寺に返納(このとき返納しなかったという説もあるようだ)。この時分には既に実・真済も居らず、さらに八七九年には真雅も歿して、宗叡のあと東寺の長者となった真然が、高野山に三十帖策子を随身して持ち帰ったといわれている。
 八九一年真然歿して後、三世山主寿長、四世無空と高野山で護持し来ったものだが、九〇〇年に観賢が東寺の別当になってから後、九一二年(延喜十二年)、九一三年、九一五年と再三にわたり、無空に対し三十帖策子の返却を求めたのである。然しながら無空は、大師御遺告通りに根本道場東寺に奉安すべきことを主張する観賢に対し、その師真然の遺志を継いで(師資相伝の法宝と称して)手離さなかったものである。



先徳の御阿礼(一) / 先徳の御阿礼 トップ / 先徳の御阿礼(三)