駄家通信 11
寺院収入記録より @



 原題は「惣檀中参詣之覚」(そうだんちゅうさんけいのおぼえ)とある。お寺の檀家すべてが参詣(=お寺詣り)をして寄進というか、寄付をした記録である。元文四年は西暦一七三九年。二百八十年余り前のことになる。「正月十六日」とあるのは、所謂、〔地獄の釜の蓋が開く日〕といわれている。〔ヤブイリ〕とも称された日のことで、お墓参りとお寺詣りが当然のことと看做されていた時代の行事であった。商店に丁稚奉公に出ていた者も、少しばかりの小遣いなどを貰って、久しぶりに我が家に帰って寛いだ日である。一般には正月と八月の十六日に当たる。
 寺号「宝池山 浦堂寺」。現在は、明治時代にもう一ケ寺を吸収合併して「鳴鐘山 隆徳寺」である。新居浜市外山町。隣に浦渡神社がある。浦渡=浦堂は古代の地形に起因するものであろうか? 国領川左岸である。
 実はこの寺、中世のことは良く分からないが、承和二年(1653)に辺路した真言僧澄禅の日記に登場してくる。

(十月五日)・・・カモ川ト云川ヲ渡リテ大道ヲ往テ、彼是五里余リ行テ、泉川ト云川在リ、此川下ニ十町斗下リテ、浦ノ堂寺ト云真言寺ニ一宿ス、住持七十余ノ老僧病中ニテ、半臥ナリキ・・・


【惣檀中参詣之覚】筆者蔵




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