六、天蓋六部のこと この天蓋六部という言葉は日向泉光院『九峰修行日記』(※19)で使用している。(小嶋博巳「廻国行者と天蓋六部―『日本九峰修行日記』の提起する二、三の問題についてー」(※20)) 彼らの存在についてほとんど解明されていないが、泉光院の言う如く「渡世の六部」であり「口過ぎの為に斯くする者」達であった。つまりグループ、組織性を持っていたのである。最近の報告では本山としての仁和寺などの史料が紹介されている。(小嶋博巳「明治初年の六十六部の本山問題―『公文録』にみる仁和寺の六十六部支配の終焉と六部集団―」(※21)) 実は六部札また回国行者札と言っても良いのだが、このなかに潜在する「天蓋六部の札」を確忍したいのである。 是まで見てきた多くの六部札の特徴として、その高度に洗練された意匠に驚かされる。仏法帰依の証しと言うより、多分にそれはより多くの賽銭寄進を得るためのものである。と考えられる。喩が卑近になるが、詐欺師の弁舌が一見さわやかで理路整然としているようなものだ。 仏菩薩の絵像にしろ名号などの用語にしても、まさに佛教信仰の真髄を伝えようとしているのである。そんな札類の内でまたよく女性の名前が出て来るのが解せなかった。六部回国行者札の願主としての女性の割合が相対的に多かったのである。このことと天蓋六部の存在とに何がしかの通底する理由があったはずである。しかし確固とした事は分からない。 女性が回国六部行者のなかに多く混ざっていたということは、泉光院の「尼と称し女房を連れ廻る」(※22)との記事を思い出す。こうした女性の存在より以前に、俗体人の六部が沢山いたという事が気にかかる。必ずしも渡世の天蓋六部では無いのだが早くから(宝永六年一七〇九)僧侶と俗体の二様が意識されていたのである。「奉納供養僧俗六十六部」碑が知られている。(※23) 回国行者札における女性願主の多いことをのべたが、次に「朱印」のこと。どうしたわけか角印を札の幅いっぱい菱形に捺印してあるものが多いのである。単に正方形に捺印するより大きく見えるし、角先が強く訴えるものがある。先の利剣名号において、字先をとがった剣先として強く視覚的に訴える形同様の演出をしているのである。まさに女性の口元に紅をさしたようなものだ。 近世と言う時代は、人前に女性の名前を出す事は珍しい。また回国修行者を「俗名」で名乗ることは、不自然極まりないのである。願主女性名の墨書した札も少なからず見られたが、観音菩薩や地蔵菩薩などの仏画入りの版刷り札は何がしかの仏教的心情に訴えるものがある。自身の修行内容と言うよりは、それは配札対象の人々の仏心に訴え働きかけるものなのであった。それに大きな朱印が押してあれば、尚更に有難味を感じさせるものである。 これまでは単純にそうした視覚効果を出す為に朱印を押していたのだとばかり思っていた。しかし今回小嶋氏の論文(※24)にいう本山(仁和寺など)があって組織性、また統一性を有していたと言ったことを考慮すれば、よく解読し難い朱の印版は本山の認証印ではなかったのではなかろうか。と思いついた。この点はさらに精細に追跡調査の必要があるように思われる。 ※19 『日本庶民生活史料集成』第二巻、三一書房 ※20 小嶋博巳。『宗教民俗研究』第三号、一九九三、〇六 ※21 小嶋博巳、ノートルダム清心女子大学生活文化研究所二〇一二、『生活文化研究所年報』第25輯。 ※22 同(19)。 ※23 『四国辺路研究』第十五号。 二世安穏
奉為供養僧俗六十六部 自他平等 ※24 同(21)。 |