駄家通信 46



【へんろ札出顕(4・番外-1)】 「一冊の納経帳」

 遍路旅の楽しみと言えば、見知らぬ土地の風景を味わったり、茶店で食す饅頭などでしょうか。日常生活のわずらわしさ―たとえば女性にとっては食事の準備とか、庭の草取りとか―こうしたことからの解放感に旅の楽しみがあります。
 見知らぬ土地の道端の一木一草、小石にさえ親しみを覚える事があります。しかし、そうした感慨を述べたものは余り目にすることがないようです。句や歌に吐露する詩人も多くはいなかったからでしょう。旅日記といっても銭の算用帳程度のものが多いのです。なかなかに、個人の精神を発露することは稀なことでした。
 今回紹介の納経帳は些細なもので、そうした個人的な心の模様はわかりません。ただ、郷土史的に、また遍路研究の資料として見逃せない部分があるのです。東田におられた「石川多み能」さんのものです。このかたは千風こと水田清恵さんのお母さんです。昭和十八年に七十二歳で亡くなられていますので、この遍路は六十三歳の時と思われます。


 四国本札所としては、六十八番から八十四番屋島寺までで、八十一番白峰寺・八十二番根香寺の二ケ寺は省略してあります。山道で難儀なので避けたのでしょうか。遍路そのものよりは高松屋島の物見遊山を主目的としていたのではないでしょうか。
 昭和九年といえば、弘法大師の千百年忌にあたります。それで通常の納経印とは別に特別なスタンプが押してあります。各寺院ごとに趣向を凝らしたもので、これが又なかなかにマニアックなものなのです。


 カット七十五番善通寺のものは、大本山らしく十六弁の菊紋をあしらったおだやかなものとなっています。「弘法大師千百年忌参拝記念・屏風浦弘法大師御誕生所」と、菊紋のなかに「善」の字です。
 向左面は弘法大師の児尊像と両親の並んだ御影図です。向右面は七十五番札所としての納経印です。小生昭和四十九年の遍路時の納経印とほぼ同様の朱印が押してあります。寺番号と寺号印は角で、真ん中に変わった字図様印、他所では種字(梵字)印がほとんどですが善通寺ではいつ頃からかこの変わった字図様印(空海の字模様)を使っています。
 昭和九年と昭和四十九年とで代わっているのは、記念スタンプ印と御影札(向右下)の一文字です。大本山が総本山となっていることです。
 その他の札所についてはここでは省略、次に番外札所三ヶ所についてです。当時たまたま石川たみのさんが道すがら立ち寄ったところです。

A=宇摩郡関川村木之川 地蔵院
B=イザリ松延命寺
C=讃岐国新川地蔵堂

 Cは高松市内の遍路道沿いにあるお堂。屋島のほぼ南、「サヌキ 古高松」にあたる地点です。
 Bは宇摩郡土居町にあり、幕末から大坂の人たちによって摂待所が設けられて以来、番外霊場として有名。イザリ松、別名栄松でよく知られています。



駄家通信 45 / 駄家通信 トップ / 駄家通信 47