【九月号】 大分暑さが退いたものの、まだまだぶり返して来るらしい。それでも難読の古文書反古の類に挑戦して見ようかと思えるようになった。アタックしていたコピーも行方不明であるが「今やらなければ、何時・誰が?」「今でしょう!」といった塾生用の言葉がテレビを賑わせている。デハナイカ? 樵眠連句 これであるが、樵眠は分かる。しかし相方は「青隆」でよいのだろうか。樵眠の交流関係に登場する人物には間違いないのだろうが、生憎とそうした知見はない。 古文書の学習というのはなんといっても、まず(くずし)「字」の形そのものとの葛藤が最重要事である。が、教養というか、知識から(此処の場合、交友人名から)崩し字の元字の推測理解が可能な事例も多々ある。しかし、それは膨大な一見無駄事種々の言葉類の内蔵を許容していなければならない。土蔵がひとつあれば良いといったような按配では無い。勿論パソコンの一台や二台で片付く所では無い…そうして、などと、頑張って、恥を晒して(曝して)いれば、いつの間にかそのことに関連した答えが登場してくるものなのだが、なるべく早いことに越したことはない。 H250903
どうにも解読できないのが残念でくずし字辞典を出して調べる。朝刊を読むどころの話では無い。ナントすぐに見つかった。「隆」では無く「隠」である。この字形は何度か目にした記憶もある。感度が鈍っているのは確かだが、ホット一息。さらに星加宗一『伊予の俳諧』の年表によれば、青隠は又青乙、大坂の人。三津樵眠宅には何度か来杖。西暦1831「〇十一月三津百千*の家に来杖」と1835「〇青乙千崖等三津に来る」の記事がある。 となると紹介の反古はどちらか、おそらく1832天保三年のものと推測される。 これで朝刊を拡げ、今日一日健やかに過せそうである。 独行庵
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