【誓願寺―反古より―】
皇都版本 この一遍上人と誓願寺の話は初めて聞く。謡(うたい)の事も良く分からない。父が夏になると屋根にあがって涼みがてら唸っていたのは、一角仙人だったか鞍馬天狗僧正坊だったか、喜多流であった。 ここ四十年ばかりの世相を鑑みても、小生は部外者であるが、御詠歌が流行し、詩吟が流行し、それらにもましてカラオケが席巻している。水は低きに就くのが自然の姿ではあるのだが、心の憂さをそうした世界に丸めて置いて日々地球は回転しつつも何処かの彼方へと進行しつつある。 これが人生なのか。 幕末期の流行といえば、俳諧や歌舞伎コトコト三味線油虫もあったようだ。 女性の髪型と服装の変化は勿論、時代時代に相応の音曲が喧(かまびす)しい。 松山では最近でも薪能が演じられている。城下町としての素養として謡曲があったのが今に伝わっているとも言える。まあそうした流れでの反古紙一片である。 やはり樵眠宅にあったと思われるものである。 該紙は一丁であるが、三丁には、 ・・・・・三熊野 の御夢想に四句の文あり其四句の 文の上の文字をとりて証文のために 書付たり唯決定往生南無阿弥陀仏 と・・・・・・・・・・扨々四句の ・・・・・ ・・・・・ 六字名号一遍法 十界依正一遍躰 萬行離念一遍證 人中上々妙好華 此四句のもんの 」 こんな言葉が連なっている。僧侶にならずとも芸能事の中に仏法を学ぶべき要素がふんだんに鏤(ちりば)められている。徃時の「趣味と教養」ということを考えさせられる。 H250530
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