駄家通信 2



 こんな状態でも古「文書」の学習は何とか出来る。東予市分(現在西条市)での古文書講座は確かもう十八年目になる。西条での講座はまだ十年足らず。「どうして新居浜でしないのか?」と訝(いぶか)しがられたこともあるのだが、まあ何事も程々にであろう。
 代わりに新居浜市生涯学習大学の遍路学講座はと言えば十七年になる。本年も九十名位の受講者のうち、毎回八割方七十数名の参加があった。昨年にはたしか五十名を切るようなこともあって、もうやめる潮時かなと思ったりもしていたのであるが、「天命なるかな」といった感慨に謝するのみ。来年も続講、、さらに一汗も二汗もかかねばならない。
 本誌への投稿も良い加減にせい、との雑音も無いわけではなかろうが、「雀百まで踊り忘れず」といった按配。田中角栄元首相の常套文句「ヨッシャヨッシャ」に似たようなことで、頼まれれば(拒絶されなければと同様)こうして升目を埋めて行くようなことになる。
 そんなものが何になるのかと嘯(うそぶ)く輩(非文化人)は多いが、さて…。

 先月東予の古文書講座に使用した中に出てきた言葉であるが、「駄家」とあった。内容からして馬屋のことであろうと推測して、そんなことであろうと良い加減に扱って話していたのであるが、休憩中熱心な受講者が出て来られて、それは「だや」と言うコトバではないか。ここら辺りでは良く使っていたとの由。そうすると又別の人も「だや」と言う言葉を使っていたと同意の言葉を発していたのである。
 これまで古文書で眼にしたことが無かったし、新居浜でも聞いた記憶がない。些細な事であるが古文書を読んでいると、こうした方言だか、古典的表現だかしらないが、不図(はからずも)未知のコトバに出くわすことが起こる。知的な〈励脳の楽しみ〉と言えるのダヤ…。




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