徳右衛門丁石の話

 その21-1


 一、改刻の話。『道指南』では、

一、順礼の道すじに迷途おほきゆへに十方乃喜捨をはげまし標石を立おくなり。
東西左右の志るべ并施主の名字彫刻入墨せり。
年月をへて文字おちなバ邊路の大徳并其わたりの村翁再治所奉仰なり。
~文化十二年佐々井版増補大成より~

とある。実行された例は多くは無いものの、たしかに改刻・添刻されたものがあった。このことは徳右衛門丁石でも見られることで、何故そのようなことが起こるのかは一概には言えない。先ず以って新道開通による道の改変が考えられる。こうした事態に役場が発行した文書(=略地図)がある。中務茂兵衛の遺品の中にあったもので、それは茂兵衛さんが「道知石」建設に際し町役場に照会したところ、役場側が地図中のどこの地点かを問い合わせて来たものである。その地図中に、相当する(改変した徳右衛門丁石のある)場所が二ヶ所ほどあるのである。拙著『四国遍路みちしるべー付・茂兵衛日記』で紹介済みであるが、再度ここでも紹介しておこう。大正二年に愛媛県越智郡亀岡村役場から「神戸市港町ニ於テ 中司茂兵衛殿」とある。公文書である。これは茂兵衛に関してもまた近代の遍路道事情を考える上でも格別に貴重な資料なのである。

 話が大いに飛躍するのだが、この略地図は最近(平成12年、2000年)に出版された『遍路の大先達 中司茂兵衛義教』(正林書院)には原色で紹介している。内容に入る前にこの本の話。巷間あまり流布していない本で茂兵衛遺品の写真集と言ったものなのだが、定価が五千円と安くない。むしろ高すぎるのではと思っていたら、なんと最近には《七万円》の値をつけて売り出している人が、イヤ?白鼠大根がいた。最近は我が家のネズミは静かにしているが、ネット界では大根が活躍しているのである。おむすびコロコロ…的なことかも知れないのだが真実の価値は絶対なものであるだけに、安々とは金に換算出来ないものである。であるが故に…





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