徳右衛門丁石の話

 その14


 どこかで述べたことですが、「丁石」は「里丁石」もしくは「里程石」と称したほうが良いのではと考えたことがあります。徳右衛門さん自身は「道丁石」と言っています(文化九年、五十九番国分寺大師像台石の刻字)。それまで四国中八十八箇所に設置してきた標石の供養に奉納した石像です。この大師石像は国分寺本堂に向かって左側にある小堂に祭祀してあります。既述の文化九年土佐に建立した「神峯麓江三里半」の標石は通常のものより大きく、「これで終わりだ」と言った安堵感でもって(今治)府中二十一ヶ所霊場の完成記念を兼ねて国分寺に大師像を奉納供養したのではないでしょうか。

 しかしその後も文化十一年に建立の道丁石が窪川町青木にあり、四国中への標石設置事業が簡単に終了していたわけではないことが推測されます。この石は折損が激しいのですが一応次のように読んでみました。


 文化十一歳戌十月吉日 願主豫州越○郡 徳右衛門

(ユ)大師像 是・・五社○ 三里

 施主 和泉屋次右衛門 番頭○○ 熨斗屋○七

橋本屋佐八 池田屋・・・ 平野屋○エ門


 岡村氏の拓影では今少し正確に読んであります。この石の建立年月は徳右衛門死亡(十二月十九日)より二ヶ月ほどまえのことであり、建立の経緯が気になる石です。地名の青木というのは、その名の木があったことに依るようです。


国分寺境内の大師堂(徳右衛門奉納石像)

五十九番国分寺、道丁石設置完成供養のために奉納された大師石像


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