異域地巡礼の納札研究
善通寺紀要 第18号より



 四、『巡礼の社会学』前田卓著(※16)のこと


 これは昭和四十六年一刷発行されたもので四国遍路と西国巡礼について論じたものである。この中で納札についての研究が、特に「巡拝者の動き」を調べる為に活用されたのであるが、種々の理由によって納札よりはむしろ納経帳持参の巡拝者数の方に信頼がおけることが述べられている。47〜48頁(第二章 西国巡礼と四国遍路の数とその変遷─現在の巡拝者の動き)。しかしこうした前田氏の調査「法華山一乗寺(西国第二十六番札所)の納札群」数千枚については筆者は何も分らない。

口絵の6頁にあるような納札を、各霊場に打ちつける慣習は、江戸時代においては、四国遍路よりも多くみられたが、明治以降は逆に四国遍路の方が納札に対して熱心になってきて、西国では衰えてきた。

『巡礼の社会学』 47〜48頁 

 つまり打つという納札は江戸時代には西国でよく見られ、明治以降は四国遍路界で熱心になってきたという。前田氏の調査後の感想めいた考えであるが ことの正鵠是非はともかくとして、筆者としては、十七世紀ころ(江戸時代前期における)四国辺路の信仰としては、納経信仰よりも《納札信仰》が顕著であったと言うべきである─と考えるものである。

 つまり江戸時代前期における辺路としては、澄禅(承応二年一六五三)の日記録と真念の『四国邊路道指南』(貞享四年一六八七)の所説より容易に看取することが出来る。この点についてはすこしばかり『四国辺路研究』第二号で論じている。


※16 前田卓『巡礼の社会学』昭和47年9月5日第2刷発行、ミネルヴァ書房。
これは昭和四十九年六月二十二日辺路の途次、五十六番泰山寺購入。大いに啓発される。




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