四国辺地の草堂・真念庵
〜昭和63年(1988年)・6月16日号より〜


 七、土中入定

 土中入定とは生きながら土中に入って死を迎えることである。いわば緩慢なる死――自殺であるが、弘法大師が奥の院に入定されたことにならっている。出羽三山にある即身仏の影響が強かったのかも知れない。

 ともかくも、この真念庵に落ちついた越中出身の松本実道という人が、土中入定を果たしている。明治二十五年のことであるが、大師信仰の賜であると共に真念法師を慕ってのことであった。真念没後二百年を経ても真念の精神を引き継いでいるのである。

 四国路で遍路の為に(つまりは弘法大師の為に)何か善事をなそうとすれば、どうしても真念法師の存在が模範とされる。遍路屋(宿泊所)の開設か、道標石の設置かである。道案内の書は、江戸期を通じて『道指南』の増補大成本が流通していたことは前述の通りである。

 同じく真言宗の僧侶で真念に続いた人として、伊予北条出身の木食僧・仏海がいる。本稿では詳しく述べることができないが、真念庵に対応するかのごとく、室戸道の難所に接待所(仏海案と称す)を建立し、やはり遍路の為の道標石も建立している。

 さらにこの仏海上人は、自ら建立した宝篋印塔に寿像をすえて、その塔下に生身のまま入って入定してしまうのである。

 真念もやはり木食僧であったらしいのだが、あいにくと土中入定の話は伝わっていない。

 真念の供養塔の隣には、回国行者の供養塔がある。諸国修行の果てにこの真念庵にたどりつき、この地の土に化した人である。「為西庵菩提 享保十五戌年三月十三日 生国佐渡賀茂群玉川村住人」。



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