その1 A 登録商標化された遍路札の出現 【はじめに】 これまで小生は四国四県など約五万枚の遍路札を調査してきたのであるが、今回は思いがけず在住の村(新居浜市東田)から出現してきたものである。旧街道(遍路道)から少しばかり北側に入った小村である。遍路に関した話題は多くなかったが、小生はこの村の大師堂に住まいしているのである。 本年(平成二十六年)正月二十四日安楽寺(四国霊場六番札所)での講話を終えて帰堂したところ、村内石川浩三さんから古屋解体中に変なものが出てきたので云々の由。早速翌朝に家のほうに伺ったところ、どうやらヘンロ札の束であった。縄紐に札を挿し挟み込んだもので、現代人には理解しがたいものであるが、往来の遍路がもたらしたものなのである。 【枚数と年代】 当初百枚位のものかとたかをくくっていたが、どうやら三百二十一枚あった。砕け散った札もあり確定できないのだが、まず三百五十枚弱としておこう。年代は昭和初期、十年代前後のものが多数であった。これは昭和九年──大師御入定千百年忌──ということが思い起こされる。この入場遠忌という節目は、『四国遍路開創千二百年』といった節目よりは、より確かな歴史的年代数である。しかし真否はともかくとして、ものごとはこうした仮枠的な年代数をたよりの記念的な行事がしばしば盛大に催されているようだ。 遍路噺が少ない小生在住の村であるが、それでもこの昭和九年に四国遍路した納経帳二冊(後掲紹介)があった。 先に札の大要を紹介しておこう。 イ 県別集計二百六枚 ロ 県別不明などの雑損札二十八枚 ハ 県・名前なお読み取り不能及び無字札八十七枚 それに一枚小庵「三栗山 地蔵院」の絵札 以上イロハ合計、三百二十一枚となる。雑損札の処理集計には多少の誤差値が予想されるが、ここでは余り気にしなくて良いと考える。 【イ札より県別集計】
これより考えさせられる事は、まず東京がゼロ枚である理由である。何故であろうか。距離的理由はもちろんあるが、時代的な緊迫したことも影響しているのであろうか。そんな中で、北海道と青森からの遍路が見られることは注目に値する。大阪はともかく、二桁の愛知県以下、広島・徳島・愛媛・香川・福岡・大分はやはり何時の時代も遍路人の多かった地域である。 愛媛五十七枚が突出しているのは、本四国に参らずに弘法大師千百年遠忌記念という時勢に便乗して遍路参りとやらを少し体験してみようと試みたものも少なからずいたからである。そうした好事例として小生在住の村人が昭和九年に小遍路した時の納経帳がある。 |