徳右衛門丁石の話

 その38 番外


 他事にまぎれて本HPの様子を忘れていたのである。前回38−4に挿入したカット写真、少し前の35にも使用している。そんなことに気付く間もなくやみくもに何か他のことを考えていたのか、老脳化の兆しであったのか、いずれにしても油断大敵。

 さて「十二里」石。委しくは「・・より ・・・り迄」十二里である。これは土佐国現認29基目の徳右衛門町石になる。旧街道端集落の空地に転がしておいてあったものである。

 側面の刻字は拓本をとらずとも読み取れるものである。しかし上部破損により全部の刻字が見えるわけでは無い。


〔向右〕 ・州 徳右エ門

〔正面〕 ・・より

・・・り迄 十二里

〔向左〕 平田や

傳次郎


 昨今はこうした道端に転がっているものにまで文化遺産としての調査が、四国四県の連携によって行われているところで、来春にはその結果が取り纏められて活字本になって出てくることであろう。大いに期待されるところである。精密度を問題とすれば一字一字の読み取りが重大事とされ、拓擦りの手法は必須条件となる。今回の石などは裸眼で十分に解読できたのであるが、甚だしきは改刻剥離された部分も多々あることがあるのである。改編(改悪)事例も無いわけでは無い。

 四県各々の温度差はあるにしろ、土俵を一つにして論じられることになったわけである。世界に向って叫ばなくとも、四国の内に向っての確認作業が行われている今日この頃。冥府の徳右衛門氏は如何しておられるのであろうか。今治地方では二十一ヶ所巡りが取りざたされている。五十年前、昭和三十年代とはまた社会情勢が異なり、人々の信仰心の有り様が大きく変容していることなど、一体全体どのように演じられるのであろうか?




その38−4 / 目次 / その38−5