徳右衛門丁石の話

 その38−9


【武田徳右衛門の業績について】


 八 石上げの施主

 久万での場合町石(の細工代)が三十五匁、「かき賃」が五匁である。山中のことでもあり、また寺院境内の山道を担ぎ上げる費用である。これは地形や距離によってかかる費用の差が激しい。しかし、原簿を読むかぎりほとんど書き残していない。これは労力奉仕が常態であったことによる。つまり、金銭を出せ無い人々が、身を以て善行に励んだのである。

 お大師様の為に!をスローガンに善根功徳を積むのである。つまりは他者(他国より四国遍路に来た人々)へのいたわりであるが、現代的に表現すれば、ボランティアであろうか。

 陸路山中に限らず、海路でもそうしたことがあった。


一 切石拾六本
土州下田浦平田屋忠造、此地より与州波止浜より無運賃ニテ積取

一 同
今治領北浦嶋善次より今治浜より波止浜迄右同断

一 町石八本
横峯寺より前神寺迄石上げ之施主、小松領川口屋傳六


 海路運搬と山路石上げの施主について、原簿記載の文である。ここでは町石と切石を区別している。つまり町石は細工完成品であり、切石は未完成なものである。こちら(今治)の石工が現地に赴いて制作に従事したのかも知れない。

 石工は、石の産出地や運搬の便の関係で港近くに居を構えることが多かった。製作道具が槌とノミで左程大がかりでなく、身一つ運んで材料の石さえあれば仕事ができたのである。


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