その38-3 【武田徳右衛門の業績について】 三 町石勧進代舌 墓誌銘から話を進め、設置事業満願後の特殊な事情にまで述べることとなってしまったが、ここで一応原点に帰り、勧進文から読んで行こう。
近在五十八番札所の住職天尊師が徳右衛門の善行に共鳴して(実際には依頼を受けてであろうか)、浄財を募る文を代弁したものである。下線部のように「道の里数」、すなわち距離を問題としていたことが解る。そして、里数が問題であるが、石としては〈町石〉の名を使っている。これは高野山にある町石が古くから有名で、その名を天尊が知っていたからではなかろうか。町石は、基本的には丁ごとの単位で立てたものである。しかし、距離的なことの代名詞的な呼称と考えれば良かろう。 ちなみに天尊師であるが、寛政十二年(一八〇〇)に仙遊寺茶堂建立の石碑にも名を留めている。 |