徳右衛門丁石の話

 その34


 前述のごとく真念標石三十五基目を調査。ハッキリとした天気では無かったのだがなんとか拓本を採ることができた。思いがけない刻字であった。


真念拓影

右 わきみち

左 遍ん路みち

とある。ナント脇道指示したものであった。つまり迷い込みそうな村(集落)があったということだ。三百年前といえば道数も少なく、脇道といってもそんなに多くはなかった。珍しいのでわざにこうした表示が欲しいところであった。現在では新道に気を取られてこうした古道はすぐ傍の見えるところにあっても問題とされない。

 しかしこの脇道指示の石は、真念の設置方針「迷途おほくゆえに…東西左右のしるべ」に建てたというのに合致したものである。しかしこれまでに「脇道」指示のものには見当たっていなかったのである。じつに興味深い刻字である。

 徳右衛門は距離を問題としたので当然にこうした文句は使用していない。真念時代とはまた違った様相が遍路道に生じていたとも考えられるのである。

 さて「三角寺へ三里」石は宇摩郡土居町村山神社辺に道の南側に立っている、元来はその少し南側にあった細い道筋が遍路道であったようなのだが追々と現在に旧道が開かれるにつれて移動したものであろう。二里石はその里程部分が読み取れないほど株が欠損しており、ア字大師坐像などから間違い無く願主徳右衛門のものと確定されるものなのである。そして一里石は上部が欠けており、「・れより ・角寺へ 一里」が見られるものなのである。

 六里石は上半分がチャント据えてあったが、下半分「六里」以下は別の場所(元有った辺り)に転がしてあるのである。



三角寺へ三里


二里石


一里石


 では今年はこれにて。来年ももう少し頑張って続けて往きます。 - H20.12.28 独行庵榮徳


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