徳右衛門丁石の話

 番外編


 江戸時代の随筆だったか、古典の教科書にあったのだが、松平某のものであったか定かではないが、カエルを狙っている樹上の蛇を、上空で舞っているトンビが狙っていたような話の記憶がある。また南方熊楠の著述では、イギリスの学会雑誌に発表したら、直に日本の学者が無断勝手引用するのだという件があって感慨を覚えたことがある。あまり本は読む方ではなかったが、それでも熊楠全集は二、三冊買って少し目を通している。何よりもその博覧強記さが面白い。高野山管長の土宜法龍などは「穀潰し」(米糞野郎だったか?)呼ばわりされていたように思う。

 五月蠅(さばえ)なす昨今の遍路学者の盛況を見るにつけ、時代の変遷と人心の雑多さに躊躇する暇もない。

 しかし我等が口を閉じて幾年かを経れば研究史に没頭する詮索博士が誕生してくるに違いない。穏やかな波間に勇躍跋扈するのは何も物好きなコツジキ遍路の亜種とも考えられないのだが…。

 それでも類は類を呼ぶの如く清い水の流れはたとへ一筋の細やかなものにしろ黄金の輝きを放っている。何時の時代にも捨てたものではない。神々の配慮=叡智は人智=小生の脳幹に何億倍して練り込まれ、且つ、確実に(絶対的にと称すべかりけるものか)この世に分散配布されているのである。当然に四国辺地の道端には医王が嘗(な)めた薬草に劣らぬ立石が佇んでいるのである。

 まだまだ種が尽きたわけでも根気が枯れたわけでもない。一服代りに脳内神経をクリーン化しているのである。ヤヤもすると流れが滞ると生じた芥(あくた)で人生がボヤケテ来るのだろうか?


 いにしえの~ 奈良の都は絶えにしを~ 今に尽きせぬ…河哉~ - H20.11.9




【ジジとババと菅生山二里石】 畝々大師堂にて


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