徳右衛門丁石の話

 その27


 寛政九年(1797)丁巳には三月廿一日と九月十八日付のものが土佐にあります。前者は「奈半利町弓場」。現在の国道55号線より海側の旧道筋の三叉路の西側に寄せてあります。上半分は転がしていた時代もあったのですが、現在は修復してあります。


寛政九丁/龍集三月廿一日

ユ(大師坐像) 従是神/峯寺江二里

施主/奈半利住人 蔦屋松右衛門


 /線部は折損部分です。石材は今治の大島石とは違うようです。形状もカマボコ型に丸くなっておらず、緩やかな角錐状です。

 後者は大日寺参道石段の間に埋まっていました。前者と同様の石材。石頭部形状は、より緩やかな丸味を帯びたものです。


寛政九巳天九月十八日 施主今井善三良建

 古れより国分寺へ

ユ右邊路道

 壱り者ん

本願主豫州越智郡徳右衛門


 前者には願主徳右衛門の名前が見当たりません。また梵字もアではなくユを使っています。寛政六年の「町石勧進代舌」のモデル図ではア字でした。こうしてみてくるとどうも徳右衛門の意思が十分に伝わっていなかったような印象を受けます。なにせ車も携帯電話も無い時代の事ですから已むを得ません。





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